劇映画なのかドキュメンタリーなのか分からない演出方法に最初は面食らったが、再開発のための立ち退きを迫れている人たちの日常を、3時間ただ覗いている傍観者的位置を持続させることの苦痛とある意味映画的快楽を感じつつ、この映画史上でも稀有な作風を全面的に浴びながらこの映画を終えることが出来た。
映像はそれぞれ絵画的に決まっており、光をうまく使いながらの濃淡のタッチは絶品である。しかし、映像の中の人々が観客と共有する何かを感じることもなかったし、彼らの世界に入っていくこともなかった。
映像と観客とは明瞭な距離というか、遮断された壁が存在していると思う。
彼らの心を映像として映していない限り映像を通して観客に入り込んでくるわけはないのだ。この絶対的な距離感は何なんだろうと3時間考えながらも悶想していると、急にラストのエンドクレジットが流れる。そこは音楽も音もなく、ただスタッフのクレジットが流れるだけの、あたかも死の世界のような静寂な空間が目の前にあるだけだった。
映像はそれぞれ絵画的に決まっており、光をうまく使いながらの濃淡のタッチは絶品である。しかし、映像の中の人々が観客と共有する何かを感じることもなかったし、彼らの世界に入っていくこともなかった。
映像と観客とは明瞭な距離というか、遮断された壁が存在していると思う。
彼らの心を映像として映していない限り映像を通して観客に入り込んでくるわけはないのだ。この絶対的な距離感は何なんだろうと3時間考えながらも悶想していると、急にラストのエンドクレジットが流れる。そこは音楽も音もなく、ただスタッフのクレジットが流れるだけの、あたかも死の世界のような静寂な空間が目の前にあるだけだった。
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