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臨場 劇場版 (2012/日)(橋本一) 75点

2012-07-12 13:10:26 | 映画遍歴

この映画、いろいろ細かい欠点もあろうが、映画ではめずらしい、被害者側から描いたミステリーものであることにまず敬意を払いたい。冒頭からそのトーンはラストになってもきちんとキープされており立派である。

バスジャックからとあるターミナルに突っ込み、たまたま駅雨広場にいた人たちを無差別に殺戮する若者の、目をそむけたくなる映像は秀逸の一言。とても人ごととは思えないリアルさであった。

それは秋葉原や、つい最近起こった心斎橋を思い起こさせる厳しい映像であった。でも僕たち観客はこのシーンをつぶさに見ることからこの映画の鑑賞に堪え得ることになるのである。

乳児を守る母親の姿、それに覆いかぶさろうとする犯人を「やめて!」と叫んでしまいそのためめった刺しにされる少女の無念。これを我々はしっかりと見届けなければならない。そう、この映画は被害者からの目線で描かれた希有な映画なのである。

事件後裁判等が開かれるが、そこには被害者の姿も声も思想も見事にかき消されてしまう。裁判とは生者のためにあるもので、死者は不在なのである。生者の生き方(更生)のために罰があり、そのためのみ裁判は機能しているようである。

死者となった声なき声を聴くのが検視官の仕事であるのと同様に、本来被害者の声を聴くのが裁判の基本であってもいいはずなのだ。死んでしまった者の無念さは裁判にはほとんど影響されない。そこにあるのは加害者の更生が基本である。すなわち裁判は死者は一切事件には関係しない。これが哀しいかな、現代社会の現実ではないか。

映画は、一人の少女の死を通して家族というものをじっくりと考えさせる。それはすなわち少女の死、すなわち死んでしまった少女の声でもあるのだ。

後半になって警察官の息子が冤罪によって自殺するという事件が傍流となって仕掛けられる。この挿話もテーマは死者からの声なき声である。死者にも人格はあるのだ。

刑法39条が何だか知らないが、人を殺せばまず自分を罰するのが世の常だろう。精神と肉体は別だと言うが、けれど無罪というのは絶対おかしい。日本の刑法で死刑の次の段階が無期懲役というのがおかしいと思う。アメリカのように280年の刑とか、本当の無期懲役を実施できないものなのか。

冒頭の殺戮現場の救急車の欠如、思いがけない真犯人の人工的過ぎる動機、そのやり取りのちぐはぐな演出等々、この種の映画でよくある欠点も散見するが、しかし被害者からの視点を終始一貫させたスタッフの思いを僕は認めたいと思うのである。

掘り出し物の作品である。娯楽作品でここまでの高みに持ってきたその気持を高く買う。


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