ヴェンダースの新作です。初期の作品群が好きな吾輩であるが、まあでも最近は見直していた。でも本作は考えてしまいました、、。
映像が主に二人の男女の会話を映す手段のみに徹底されており、映画とはそもそも何なのか、と観劇中ずっと思う。
昔、ゴダールが「東風」で採った方法と似てはいる。同じ映像が7,8分ストップしたかのように映るが、轟音のように鳴り響く演説の声がすさまじく、ゴダールはその政治的内容を伝いたいがためにセリフは滝のように流れる。映像は、映画である最小限の手段となり、そこにはただ手段としての絵があるだけ。
そして本作。会話映画だと言われればそれまでだが、映像はほとんど二人の会話を映すだけのシーンが延々と流れ、その会話も人生の機微を感ずるものでもなく、退屈である。
映画と言うものはやはりルミエール以来映像を本体とするものであり、この肝心要の映像を矮小化してしまう映画を僕は認めない。実験作だなんて、そんな範疇のものでないことは明らかである。
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