この忌まわしい事件は当時、報道をもって知ってはいたが、何しろカトリックのスキャンダルというのは日本と外国じゃ随分捉え方、関心度等に雲泥の差があるのである。映画を見ている間ずっと考える。
恐らく古き都会ボストンではタブー視されるほど身もだえする事件だったのだろう。頭では理解できる。しかし、日本の仏教界で類似の事件もあまり聞かない日本人にとっては、その本質的な事件の根本にまではなかなか辿り着かないではあるまいか。
2時間強の作品だが、実に地味であります。俳優陣もそう思いますね。マイク役のマーク・ラファロなんかは、他の映画に出ていても恐らく覚えていないだろう、そんな俳優である。脚本もドキュメンタリーっぽく、これも随分地味で、敢えて派手さから遠のいている。
それほど、ハリウッド的起承転結がある映画ではないが、でも2時間が退屈しないのは敢えて報道というものを芯に据えていながら、それをエンタメに徹して展開しているからである。この手法は素晴らしい。マッカーシーの手腕とするところである。
ラストの絶え間なくかかってくる被害者たちの電話は感動を伴うものであった。これを幕切れに持ってくるところは、マッカーシー一流の映画の美学である。アメリカ映画人の一流の見識の高さを見せつけている。
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