邦題はそれほど悪くなかったが、それでも鑑賞後ではやはりテーマ的にも「45years」の方が正しいと思った。僕も長年夫婦をやっているけどこれほど生々しい映画も珍しい。逆に困惑する。男と女の本質を突いて息苦しいほどだ。
ほとんど女側から見た映画です。その心理をセリフでまったく示さず映像だけで掘り下げてゆく。これだけで全編95分を通す。シャーロット・ランプリングにとっては女優冥利に尽きる作品であります。
考えたら夫のトム・コートネイはかの名作「長距離ランナーの孤独」でゴール前で権力に楯突く青年を演じた当時の「怒れる若者たち」の象徴である。対する妻役のシャーロット・ランプリングは、「愛の嵐」で高級将校のオンリー、デカダンのユダヤ人少女役を演じ、センセーショナルな印象を与えた女優である。我が青春のほろ苦さを今でも感じる俳優たちである。
50年前の雪山で遭難した女性が見つかったことからこの映画は始まるが、男と女は45年も結婚生活を続けていて、いともこんなに簡単にほころび始めるものなのか、、。不思議である、と言えないところがつらい。そんなものだと思う。
妻は女が若いままの姿で見つかったことに嫉妬する。ラジオにかかる唄も歌詞が若い女性のことだとすぐ切ってしまうし、久しぶりのセックスも、夫が目を瞑っているのを知り(若い女性の代替えだと知り)嫌悪感を覚える始末だ。
ましてや女が妊娠していたことを知り、完全に敗北感にうちのめされてしまう。(このことで)夫が子供を作らなかったのか、単に出来なかったのか分からないが、妻は夫に完全に失望する。夫は屋根裏に45年間、秘密を持っていたのだ。
それでも45周年の記念パーティはうわべは平穏に立ちふるまおうとする。でも限界が来たのだった。このラストのランプリングの演技は凄い。ダンスで二人の手が伸び上がったのをもろくも崩落させてしまう。この映画全体の凝縮シーンだ。
画面では1週間の表示がセンテンスごとにあった。パーティが土曜だったから、日曜は描かれない。それは観客にのみ判断されるということなのだろう。
僕が男だからかトム・コートネイの子供っぽさは理解できる。男ってあんなものだと思う。でも、45年間、女を思っていたのなら、僕だったら屋根裏のものを処分し、墓場までそれを持っていく。その意味でも男は幼稚であった。
妻はだんだんと男を許せなくなる。それはおそらく生理的なものも関係するのだろう。45年間の裏切りの代償は大きい。女はもう70にもなっているのだ。人生は戻らない。そんな感覚をランプリングは体で、目で、背筋で、そして心で演じる。怖いほどに。
ただ、映像が全体に平板で、キレがないね。これだけの出し物で、これだけの俳優をそろえて、本当にもったいない。超秀作になったはず。でも、この題材、恐すぎてこんなものでいいのかも知れない。ベルイマンでなくてもいいよね。他人事ではない、、。
さざなみ…ある意味まさにざわつく作品でした。ランプリングは好きな女優さんですが 今回は可愛い女性を演じてましたね…おっと、可愛い?は微妙でしょうか(笑)私からすれば充分に女性としては現役感が強かったですが…旦那様に対して以上に
元カノが五十年前の姿のままだというところと 彼女が身籠っていたといところ これに対する嫉妬が肝ですよね。
女は まさに子宮で感じるのです。性ですからこれは仕方ない。それに比べ 男性のロマンティックなこと(笑) 押し花とかガイドに対する焼きもちまで時を越えて蘇っちゃって(笑)
この夫婦の日曜はどう推測されますか?
私は なんだかんだで現状維持と、みてとりましたが…
最近、ブログの更新、間隔が開いていたので、実は少々心配しておりました。お越しいただきありがとうございます。
秋からよせばいいのに、一日カレッジを二日間入れてしまい、のんびりしていた日常が俄然窮屈になってきました。いやでも人間関係も多少なりとも出現しています。
さて、日曜日のことですが、どうなんでしょうね。女の方からすると、もう完全冷え切りのように見えましたが、問題は70という年齢でしょうね。離婚にはかなりのエネルギーが要ると聞きます。気持ちは離れていても(エネルギーがなく)不承不承、夫のもとに身を置いているのかもしれませんネ。
秋が深まりゆきます。どうぞ、お体に気をつけて。失礼します。