こういう夫婦の捉え方もあるのかなと見ていたが、
やはり嘘くさいかな?
夫婦がそれぞれ男女関係で破綻していて、それぞれ浮気をしており、また元のさやに戻るなんて、通常は考えられない。ましてや女は夫婦の生活する部屋でセックスしていても何も思わなくなっているのだ、、。
で、まともに愛の姿を見るのではなく、、ある愛のカタチにおいて、図式的に、いや数学的に因数分解するとこういう結果になりますね、といった頭で考えた愛のカタチを見ているようだった。それはそれで、構わないと思うよ。
でも、題名の猫が逃げた、は違うね。僕はこの題名につられてこの映画を見た。それは猫が自主的に家を出たと思ったからだ。昔の、「吾輩は猫である」と同じく、猫が人間を観察して、そして飼い主の夫婦から逃げるってどういうことなのかな、と思ったわけです。猫は逃げてはいない。人間が仕組んだことだったから、そこで僕のこの映画は終わった、と思う。
でもラスト近くのあの4人の長回しは秀逸だ。今泉はこの映画でこのシーンを撮りたかったのだろうなあ、と思う。
どうも今泉は僕には合わないようだ。この緩さが好きという人もいるんだろうけど。というか、現代の若い人たちはこういう柔らかさを共有しているのかな?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます