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告発のとき (2007/米)(ポール・ハギス) 80点

2008-07-18 16:32:38 | 映画遍歴
人間の人類への課題を投げかけた一編の映画だ。映画歴史的にも繰り返しこの手の主題は追求されて来てはいたが、戦地と国(故郷)の距離があり過ぎることもあるのだろうか、アメリカで最近執拗にこのテーマがクローズアップされている。

それはイーストウッドの太平洋戦争の2作品も全く同テーマであった。戦争=殺戮は人間を滅ぼすという図式である。憎しみのために殺戮するのではない。家族のために戦うのではない。ただ戦争という事態のために人を殺さなければならないのだ。この理不尽。

映画としてはミステリー的な手法を採っているが、犯人探しとしての娯楽性は全くないので、そのうち人間の狂気を垣間見てしまう真実に時間を重ねるごとに観客は近づくことになる。そして否が応にも知りたくない真実を最後に観客は知らされることとなる。

その演出力の際立った切れ味はぴか一で、真実の重みを観客はずしんと身体全体で感じてしまう。受け止めねばならないのであろう。だが、僕たちはどうするのだ。
どうすればいいのだろうか。

一番印象に残ったのは息子が戦地からSOSの電話をしてきたとき、父親ハンクはただ頑張れと言っただけだった。それは父親としてより軍人としての答えだった。息子はただ父親として、人間として助けを求めただけだった。イラクでの異常な戦闘状態が息子を壊してしまったとも言えるが、直接のきっかけは父親の非人間性にあったのは間違いのないところだ。

それと対比的に描いているのは、女手ひとりで息子を育てている警官エミリーである。彼女もダビデが何故子供の身で戦いに挑まされたのか聞かれても答えられなかったが、それでも逃げたりはしなかった。一対一の人間として息子に接した。

あまりに重い映画だ。2時間強、このテーマで観客の持続に耐えられるその緊密な演出力は驚異的だ。主演の3人の演技もさすがだが、儲け役とも思われるが女警官役のシャーリーズ・セロンはこれからの生き方を背負う我々を象徴しているかのような存在なのだろう、一筋の光がふと見えるような、素晴らしいヒューマンな演技でこの映画の重さを吹っ切っていた。秀作であります。

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