スタトレの独自のアイデンティは確かに存在する。3作目となってもそれは持続する。SWでもなく、他のCG映画をも凌駕しているもの、それは何だろう。なんてスクリーンを見ながらポツンと考えていた、、。
それは、シンプルでやさしい幼児性ではあるまいか。子供でも理解できる最近のサイエンス映画って珍しい、そう思う。映像はめくるめく宇宙闘争映画ではあるが、本質的にはテレビから飛び出した紙芝居であります。童心の原点。それをきちんと掴んでいるところがえらいと僕は思います。
そう、映画で彼らチームが親世代のスタトレを懐かしみ、そのセピア色の写真を見ていたように、いつでもそのテレビ時代に戻ることができる。電気紙芝居であるテレビジョンというお子様ジュークボックスに、、。
何もむつかしいことは考えなくていい。映像からビヨンドしてくるのは、即子供時代に戻れる魔法のあのかび臭い一空間だ。大人から、いや、老人から幼児までそこでは同じ人間同士の色、匂いとともに強い団結が生じているのである。
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