何気なく見た映画だ。恵比寿ガーデンはまだ素晴らしい空間でいとおしい。そんな奥に位置する映画館で見た素晴らしい余韻の映画だ。こういう映画がたまに映画館にやってくることが嬉しい。
人を待っている気持は切ない。その人には帰る場所がある。今度帰ったら次いつ来てくれるのか分からない。心配で仕方ないが、勿論そんなことはおくびにも出さない。そんな日常、、。
その人が音信不通になる。不安感を抱えながら、調べていくと事故死したことが分かる。懊悩、脱力、絶望、一目その人に会いたい気持ち。その溢るる気持ちは恋人が暮らしていた場所へといざなってくれる。
僕も忘れていた人を恋ふる心情というものを久々に思い出す。素晴らしい出だしである。後は、危険を承知でただただ愛する人の面影を確認したいがために、その人が愛していた妻と息子、そして家へと辿る。しかし、、。
孤独の男と女そして息子。彼らが時間と愛によって癒されていく過程はごく自然で、それは人間賛歌にまで昇華されてゆくようだ。
時々告げられる安息日の通知音でここはユダヤ教という異文化の街だということを認識させられる。この国では仕事にさえ細かい規律が存在する。文化・宗教・そして人種という人間存在の基本的仕組みが現実として僕らの生きている世界を規定しているのだ。
けれど、人を愛し、ただ単に日々を生きてゆくのには、そういう原理は足かせになることもある。
この映画はラストには、けれどハッピーエンドには僕らを導いてはくれない。いわゆる世の中の原理で引き裂かれた二人。女は男を探しドイツにまで会いに行く。けれど男の姿を見るだけで、追おうとはしない。女は自分をしっかりと自制し、社会の原理内にとどめるのだった。
人種・生・文化・宗教観それらを超えられる愛のあり方を考えさせられました。主演2人の内面的演技には驚かされます。最近あまり見ることのない秀作だと思います。
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