
韓国も日本同様高齢化社会なのだろうか。こういう映画がヒットするということはそれ相当の需要があるということなのだろう。で、話はと言うと二組の老人の愛の物語である。
カップルのそれぞれが淡々と小さな希望の灯をともす過程を謳っている。彼らには死という終結が待っているが、人間という生き物は希望という前向きの何かがなければ生きてはいけないのだろう。
この映画ではっと思ったのは、まず、一人暮らしの老女に実は名字はあれど名がないということだ。父親の帰還を待っていたら届け出を失念してしまったという。日本でもよく戸籍を持たない人たちが存在することは聞いているが、名前がないというのは初めてで驚いてしまう。
そういう手続きをしないまま老人になってしまった女性の悲哀をまず考えてしまう。名前のないまま老女になってしまった人の人生、、。
もう一つは、3人いる子供たちを最後に我が家に来させ、みんなの前で覚悟の挨拶をした両親を自殺と思わない子供たちがいるという不思議である。それどころか、あの年で事故死して良かったなんて言わせるセリフ。
どう考えても、ひょっとしたら自殺ではなかったか、とか肉親だったら思うはず。高額のカネを借りた三女はそれぐらい感じるはずなのに、そのシーンはない。そのため観客としてはこの映画に感動する場所がない。その不思議。
と、意外と深みが感じられない作品となったような気がする。取り組み方が浅いというか、いい話にしようとして、老いのイメージが先行している感じです。この映画が韓国でヒットしたということは何か日本では考えられない何かがあるような気もしますネ。
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