確かに映像も音楽もちょっと異質。だいたい話が現代のブルジョアなんだがちょっと古めかしい設定で、大晩餐会から始まると来た。何なんだろうと思っていたら現代版「チャタレー夫人」的で少々不満。
映像は大胆で見るべきところ多し。けれど野外でのあのセックスシーンの、自然との交互の映像は今やそんな写真は素人でも撮らないでしょうに、、。古~い隠微なその手の映画を思い起こしましたデス。せめて俳優たちがもうひと頑張りすれば許せるものを。
音響に至ってはラスト近く、夫人が簡素な服に着替えすべてを捨てるシーンの、煩いまでの音の鳴らし方は幼稚的でこちとら呆けてしまいました。
でも確かに【ティルダ・スウィントン】はファッションモデル風に美しくあらゆる衣装が引き立ちますね。この映画の見どころの最大限のところでしょう。女性目線ですね。
でもまさに映画なんだから、きっちり彼女の心の葛藤を説明する必要があったはず。(名前のない女というところはちょっと面白かったけれど、、)
夫人が何故子供を3人も設けながら家を出なければいけないのか、そのきっかけが料理からだなんて、現代風だと言いたいのでしょうか、でも彼女の精神性を疑いますよね。夫とどういう関係かも説明しないで、それはないでしょう。チャタレー夫人は心の渇望をきっちりと謳った作品なんですよ。
現代の映画でもこんな時代錯誤の映画がまだ存在し、堂々と賞レースを司っているということに実は僕は訝っているのであります。今映画はもっと、自分との距離を縮める何かを必要とされているのではないか、そう僕は思っています。
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