ある意味、現代のカオスを切り取ることに成功している。2時間強、じっと見続けさせられ、また目を離すことも叶わなかった。それだけ内藤の引力に従い続けたが、観客の視点が被害者にもなり、また加害者にもなり、すなわち現代の汚辱そのものを見る羽目になるのだ。
結局、しかし我々はその現代の置かれている現実を見ても、そこには救いもないし、一歩前に歩く希望さえ見えない。懊悩し、荒野を歩く彼らの姿は、すなわち現代人の赤裸々な我々の姿でもあり、だからこそ何一つ人類は進歩していないのではと自省すること多し。
刑に服さず許された子供だからかえって苦悩が高まるということではないと思う。刑に服しても人を殺めたという事実に変わりはない。死ぬまでそれは引きずって行かねばならない十字架なのだ。
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