イタリア映画にしては、常に僕たちが見て来たローマ文明とはかけ離れたこのド田舎の生態がこの作品のキーであり、また問題提起でもあります。
敢えて徹底したリアリズム(男も女も家の中とはいえ下着丸見え状態)を表現することに少々驚く。自然体で生きてゆくことを表しているのだろうか、この父親が言うように「世界の終わりが近づいている」ことと何か関係があるのだろうか、、。
ミツバチが死んでしまうような除草剤を役場は近隣農家に勧めている。最近日本でもミツバチが少なくなっていると聞く。これは生き物の連鎖・生態上かなり問題があるらしいのだが、、。そういうところもじんわりと匂わせている。
でもそんな杓子定規のような生き方をしていれば、この父親のように未来はない。家族だって応援はしたいが、生活自体することができなくなる。
主人公の思春期の少女は長女でありまだ幼いが、養蜂業としては実に十分すぎるほど父の助けとなっている。
けれども少女には身の回りの海山の自然より、都会っぽい新たな文化の方が麻薬的である。そのうちに恋も覚えるであろう。何しろ少女には光輝く未来があるのだ。
そんなことは父親も重々承知なのだが、家族を守ろうとしながら(全然守られていないが)実は自分のことしか考えていないエゴイストであることも事実なのである。
何か、イタリア映画ではない感じが最後までしたなあ。その意味でも貴重な映画です。
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