この「ラブアクチュアリー」風のタッチはとてもよかった。俳優たちの演技も自然で言うところなし。ハートフルな声が響く心地よい映画であった。でも、、
その掘り下げ方はちょっと浅い感がしないでもない。でもそれはこれだけのエピソード数から考えるに仕方がないことなのかもしれない。掘り下げ方によってはトーンが変わってしまうかもしれないし、ね。全体のスケッチは確かに淡くパステル調で、映像に浸っていける。
考えたら4世代にもわたる家族の晩さん会でございます。でも、晩さん会に至るまでが結構長いので、はて、これはちょっとイメージ(ただ勝手に僕が思っていただけの)が違って、室内劇の家族間の葛藤劇ではないことに気づきます。
まあ、それでも多少の葛藤は起こるわけですが、思ったほど深く激しく描いたものではありません。
これだけ登場人物が多いと、各パートの説明も大変だとは思うのですが、まず「アラン・アーキン&アマンダ・サイフリッド」組」が、年齢の差はあれどしっとりと描かれ素敵だなと思わせます。
そして軸となる「ダイアン・キートン&ジョン・グッドマン」組ですが、妻が一方的に三下り半を言い渡すという今や当たり前の離婚劇です。でも、この妻の離婚理由が(僕には)理解不能で今さら子離れ後遺症なんて、日本でもそろそろ過去の亡霊でしょうが、と言いたくなります。
まあ、離婚って、普通は夫を憎むほど嫌う理由ができるんでしょうが、ダイアンはそんな素振もありません。
息子ハンク夫妻。夫は失業しているのを隠すのだが、それほど切実感はなし。彼らの子供たちも、面白そうで(僕には)そうでもなかった。
ダイアンの妹エマの場合。この、彼女が万引きをし、護送される間の若い警察官とのやり取りはなかなか面白かった。さすがマリサ・トメイ、彼女の才覚を遺憾なく示す。でも少々彼女、老けてきたか(いやあ、関係ありませんなあ)。
最後は真打。娘エレノアと今から戦地に向かう若者ジョーとのほとばしる愛。彼女は不倫をしていて親の前ではいかにも普通風を気取りたかったのだ。そのお芝居が本物になる過程。これはこの映画の白眉であります。(普通はこれだけで一本の映画になる。いやあ、それも昔の話か。)
ちょっと、ちょっとと思ったのが、晩さん会途中での停電でアーキンが軽い脳卒中で入院するシーン。その病院の広間で彼ら家族たちがまた集う。
ダイアンとグッドマンは何のこだわりもなく仲直りするし(今まで何だったんでしょうか)、静かな哀しみを感じさせたアマンダがハンクと仲良くなってるし(何でこうなるの?)、ましてやキートンが点滴装置を持って突っ立ってるのに誰も彼に気づかない。そこではみんな老いも若きも楽しく踊りまくっている。
これを幻想だと思おうとしたがそうでもなさそうだ。でも、本当にこの救急病院のシーンまでは映画的に十分じっくり見させてくれたんですぞ。
まあ、人はすぐそこにある幸せに近づかない、なんて昔から言われていることだが(青い鳥もそうだよね)、僕もそう思う。でもこれも敢えて言わなくても、と思ってしまう。いいタッチなだけに惜しい作品ではありますネ。
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