だいたいみんな将棋師聖の若死を知ったうえでこの映画を見る。だから、その短い人生途上で、凝縮した彼の青春を見てみたいという思いでこの映画を見る。それは自分の人生にいかに投影されるのか気にかけながら辿る道程でもあるのだ。
彼の病気とは子供時代からのネフローゼだ。だから体も見事にむくんでいる。そんな病的でいながらすぐ切れる聖を松山ケンイチはそつなく演じている。
対する永遠のライバル羽生に東出昌大が目を見張る演技を披露する。よく研究したんだろう、風采から仕種まで完全に羽生になり切っている。彼はうまい役者なのか大根なのか、分からない俳優である。でも、大根役者だったら作り込演技はできないだろうから、今回はものすごく頑張ったんだ。
ネフローゼだけでなくぼうこうがんまで抱え込んだ聖は両親にそれを伝えずまさしく死に物狂いの羽生対戦だけに命を削る。ここが見所なんだが、何と泰然としていた羽生が「負けました」と聖に頭を下げる。え、そうなんだと将棋のことをあまり知らない僕でもかなり驚く。
がんの治療もせず、このままでは3か月の余命、手術をしてしか生き延びれないことに、、。でも、その後懊悩しながらも、手術はするのだが、なぜか聖の病気は治っていないようだ。この辺りはあまり説明されないので何が何だか不明瞭さも伴う。
そして死を決しての最後の羽生との対戦。ほぼ勝つはずだったのだが、、。
子供時代からずっと不治の病を抱えていた聖の青春。通常の生き方はできまい、とおのずから分かっていたのだろう。だとすると、自分の好きな、自分の栄光を求め得る将棋に賭けるしかない。時間はない。自分の生きる時間は限りなく制限されるのだ。
羽生を前にして、ぽつんと放つ彼の言葉が印象に残る。「一度は女性を抱いてみたかったなあ。」何と正直で素朴な願いであることか。目の前の羽生はアイドルと衝撃的」な結婚を果たしているのだ。その対称性。
そして彼は死を迎える。29歳の聖の青春。それも人生である。私たちも聖の人生から何かしら投影させられるものがある。それはちっぽけな哀しみの心象でもいい。何かを乗り越えた征服感でもいい。
彼からやはり強く青春の眩さを見てとった。人はいずれ早かれ遅かれ死を迎えるのだ。そんな単純なことを併せ考えてしまった、、。
派手さはないけれども淡々と一人の青年の生きざまを追った秀作である。この作品好きだなあ。
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