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インセプション (2010/米)(クリストファー・ノーラン) 85点

2010-07-29 13:04:46 | 映画遍歴
いやあ、夢に酔い、彷徨っている感覚。夢のまた夢、さらに深い夢が醸成され、めくるめく果てしない宇宙の彼方へ自分の体が投げ出される感覚。しかし解放感あれど気づくとわが肉体は宇宙の塵となり宇宙空間に漂っている、そんな夢の時間。

この映画の一番好きな場面は、ホテルでみんなが浮遊するシーンです。一本のロープでそれぞれの体をくるみ、無重力空間に漂う異様な美しさは映画史上でも特筆ものでしょう。まさに僕たちが見る夢の情景を映像化しています。

こんな僕の体験があります。

この小さな地球、そして小さな日本、そして小さな僕の部屋、そして狭いベッド。その場所にいて遠い宇宙空間を一瞬に垣間見てしまったような特異な体験を真夜中、少年時に持ったことがある。それは宇宙の真理を一瞬にして知り得たと思った瞬間でもあったのだ。(勿論疑似体験であろうが、当時はそう思っていた。)この映画を見た時まさにその時の感覚を思い出した。

僕の夢は若いときは怖いものが多かった。大体高い所を浮遊し、逃げ回っている。執拗に追いかけてくる何者かがいる。しかし逃げようとしてもあがいても前に進まない我が身体。もっと飛べ、もっと高く飛ぶのだ。そうしなければ逃げられない。しかし空間に浮遊したまま動けない自分。追いかけて来る者に捕まりそうになり、ああっと、恐怖で起きてしまう僕の夢の終わり。

この映画、すべての映像が、実際よく見る人間の夢の世界を映像化したものではないか、と思われる部分があります。夢の中でのできごとはすべてが見る人にとっては真実であると言われます。しかし人間は見た夢のほとんどを忘れ、記憶に残っているのはごく一部だとも聞きます。いまだ人間の見る夢についてはほとんど解明されてはいないのだ。

映画のラスト近く。ディカプリオは着陸態勢だとスチュワーデスに無理に起こされる。睡眠が強かったのか、まだ完全に覚醒できないでいる。機内に見える人間はターゲットとインセプション仲間たちである。しかし、全く他人たちのようにも見える。偶然飛行機に乗り合わせて遭遇したかのような人たちのようにも見える。ひょっとしたら今までの2時間強はただディカプリオが夢を見ていただけの世界ではないのか、と一瞬観客に思わせる。ただ、輻輳している世界。まだ予断は許さない。【ノーラン】の仕掛けは続いている。

ディカプリオは父親に出迎えを受け、愛する子供たちの住む家に向かう。そしてやっと子供たちに再会する。これは現実なのかどうか。独楽は廻り続ける。映像は独楽を写し続ける。ややぶれ始めて映像は消える。

現実でも夢の世界でもどちらでもいいのではないか。むしろ夢の世界の方が自分のストレートな気持ちが反映する。対して現実世界の方は自分の心に自分自身がブレーキをかけている。最後まで何が現実で何が夢の世界か、混沌としている。人間の脳裡って深い。うまい余韻のあるラスト。答えはなくてもいいのではないか、、。

いやあ、実に人間の夢の実像(虚像でもある)を大胆で華麗な映像で表現した現代の傑作です。しかし【ノーラン】、アイデアもすごいけれど、イメージの積み重ねと適切な映像処理、そして追われる恐怖をアクション化してしまうエンタメの極意もよくご存知な、タフな映画作家になりましたね。今一番乗ってる作家だと思う。

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