前回「灰羽連盟:敬虔なるキャラの不在」の中で、「敬虔な人物が出てこない事が、実存というテーマにもかかわらず、その内容が『青臭い』といった理由で敬遠されたりしない要因の一つだ」という趣旨のことを書いた。またそれに対して「話師やクラモリはそう言えるのか」という反論がありえると言った上で、そのような見方が後付け的・二次的なものにすぎないとも述べた。
ここではその根拠を提示していこうと思 . . . 本文を読む
灰羽連盟(以下「灰羽」)という作品が、実存を根幹のテーマとし宗教的要素も数多く含まれているにもかかわらず、それが「青臭い」といった理由で敬遠されなかった理由について論じてきた。それは例えば、天使のイメージに反するであろうタバコやスクーターといったアイテムの配置、「来世」と解釈できる世界を「いるべきではない場所」とする作中人物の発言など、枚挙にいとまがない(前者は「灰羽連盟覚書2」、後者は「灰羽連盟 . . . 本文を読む
灰羽連盟の話は年内にケリをつけると言ったものの、さてどこから書くのがいいか・・・と悩んでいたら、久々に読み返した草稿があまりに意味不明な上目がチカチカしてきた(笑)ので、内容を完全に忘却する前に優先的に掲載しておこうと思う(念のためこのパラノイア的なノートの写真も載せておくw)。
「灰羽連盟覚書2」でも書いたが、小難しい言葉で灰羽連盟の特徴を述べることは、かえってその生活臭や日常 . . . 本文を読む
前回の「灰羽連盟覚書2」で述べたように、灰羽連盟で描かれる実存のあり様がなぜ視聴者に受け入れられたのか、というのが私の根本的な疑問だった。詳しくは前掲の記事を見てほしいが、たとえばその記事の副題にしている「ヤンキー灰羽、則天去私、罪憑き」という(一見するとバランスの悪い)組み合わせが自然にかみ合わさっていることがその一要因であると考えられる。
そういう根本的な話をしてしまったためこれ以上付け加え . . . 本文を読む
「灰羽連盟覚書1」において次のように書いた。すなわち、第一話を見て灰羽連盟の実存が「青臭い」「宗教的」といった理由付けで敬遠されなかった要因が第一話の演出の仕方でわかった、と。
最初に述べておくが、「灰羽連盟における『実存』の鋭さ」のような形で、「灰羽たちの生き様が私たちのそれの縮図である」と見抜くことは容易い。あとはせいぜい灰羽の仕事を「天職」、「巣立ち」を「天命を知る」と言い . . . 本文を読む
「灰羽連盟覚書0:気付き」でも記しておいたように、これより灰羽連盟を見なおした際の覚書を載せていく。なお、前掲の記事で述べたことだが、設定や背景などディテールに対する眼差しを意図的に捨て、初見で灰羽を見るとどのような印象が得られるかに重点を置いている。なので灰羽の世界そのものの考察記事だと思って読むと完全に期待を裏切られる、という点についてはあらかじめ断わっておきたい。
なお、分量がそこそこある . . . 本文を読む
「灰羽連盟:舞台設定、偶然性、実存」、「灰羽連盟:労働、記憶喪失、実存」の二つで、実存を根幹とする灰羽連盟(以下「灰羽」)が「宗教的」であるとか「青臭い」ものとして敬遠されなかった理由について考察した。さらに、後者の元となった草稿をも紹介している状況で新しく「覚書」とはこれいかに、と思われるかもしれないが、簡単に言えば記事を書くにあたってアニメを見直した時のメモである。ただ、この覚書の内容は、そも . . . 本文を読む
灰羽連盟(例によって以下「灰羽」)の記事もこれで五つ目か。そろそろ方向性を変えて・・・などとあれこれ戦略を練っているうちに11月にアップする記事の内容・配列が決定。考えてみれば7月以降は、沖縄旅行の記事以外せいぜい週単位でしか予定を立てないという場当たり的な運営をしていた。まあそれもこれも「沙耶の唄」に絡んだ議論、例えば「共感」の欺瞞、言語ゲーム、ディスコミュニケーションの必然性、誤読の必然性、共 . . . 本文を読む
「灰羽連盟:世界に拓かれた実存」で草稿を掲載していくと話したが、それとの量的・質的落差を提示する目的で一番最初の覚書を載せておきたい。説明がよくわからない部分は多いと思うが、リンクを張っておくのでまあそれを参考にしてくださいということで(適当w)。特に最後のあたりは現行のものとかなり違う内容になっているが、これは「偶然性、再帰的思考、快ー不快」と関連の深い問題。いずれまとまった記事を書ければと思っ . . . 本文を読む
「灰羽連盟:舞台設定、偶然性、実存」と「同:労働、記憶喪失、実存」において、灰羽連盟で根幹をなすテーマが「宗教的」だとか「青臭い」として敬遠されなかった要因を分析した。ごくごく簡単に言えば、それは(1)特定の世界観を押し付けられている感じがしない。またその要因は、イメージを突き崩すアイテムの配置と、そして世界の成り立ちを誰も知らず、作中で説明もしていないことにある。(2)それゆえに、作中人物たちが . . . 本文を読む