ここでは、前回の記事を補足する形で書いていこうと思う。
(「お供え物」、「ご利益」について)
まず始めに。「お供え物」や「ご利益」の話をわざわざしたのは、『拝啓マッカーサー元帥殿』の著者が表面的なことしか見ていないと感じたからだ。というのも、見返りを求めない贈物に対する著者の分析はせいぜい「贈物好きな民族性」だとか「強者へのおもねり」、あるいは前に述べたような「誠意ある献上」という程度であり、 . . . 本文を読む
私は他人との話し方に迷ったら、ほとんどの場合敬語を使う。ただ、やはりというかそういう話し方は相手に距離を感じさせるらしい。なるほど今までの経験による限り、「タメ語」を織り交ぜるのが好まれるようだ。だとすると、私との比較に過ぎないのは確かだが、敬語に対して距離感・違和感を覚える人が多いと言えるだろう。
人は敬語によって距離や堅苦しさを感じる。これはわかりやすい。ただそうすると、昭和天皇の危篤状態 . . . 本文を読む
『拝啓マッカーサー元帥様』(岩波現代文庫)の第七章「感謝の贈物」では、様々な人が果物、ステッキ、着物など実に様々なものを手紙とともに送っていることが述べられている。そこでふと疑問に思ったのは、
当時の経済事情は厳しかっただろうに、何でこの人たちはこんなに色々なものを送ったんだろう?
ということだ。いちおう理で考えれば、「何らかの見返りを求めて」というのが最もわかりやすいし、世界的にもかなり通 . . . 本文を読む