ひぐらしのなく頃に 業:第16話の感想→残酷描写の意図とリアリティ欠如の意味

2021-01-23 11:56:56 | ひぐらし
いきなり殺害シーンでバリバリ〇〇描写だと!!?これ完全にワイの思考がトレースされとる・・・さてはキサマ見ているな!!!
 
 
とまあそんな感じで始まった「ひぐらし 業」16話であります。今回は割と早めに見れたので、早速感想を書いておきたいと思いますですはい。ちなみに前回の第15話の感想はこちらで、それを元にした世界ルールの再考はこちら
 
 
 
〇いきなり殺害シーンである意味
 
「個々の話の犯人の手口やその動機付けを仔細に分析するのは無意味」であることを改めて象徴。これは第15話でも述べた通り。今回、沙都子が梨花を亡き者にするシーンから始まるわけだが、沙都子の発言から彼女がすでに他の部活メンバーを手にかけたことが伺える。言うまでもないことだが、これだけを見て沙都子がいかなる経緯で(再び)発症し、部活メンバーたちを殺めていったのかは推理のしようがない。これは意外な犯人が連続的に書かれた第15話と同じで、個々の犯人の動機づけや犯行に到る経緯を筋道立てて考えても「答え」には辿りつけないことを暗示していると考えるのが妥当だろう。この点は「うみねこのなく頃に」をプレイしている人にはわかりやすい構造と言える。
 
 
〇内臓がないぞう
 
前回の記事で「内臓描写こそないが」みたいなのを書いたら、「計画通り!」(悪笑)とばかりに描写されました( ̄▽ ̄;)まあ内臓関連は祟殺し編でも描写されてたから多少はね、という話だが、ほんと「計算されたカオス」って感じですな(これの意図は後に考察する)。
 
さすが10年以上の時を経て世に問われただけはある。これで風呂敷をきちんと畳めたならば、色々な意味で歴史に残る作品になるのではないか、と期待している。
 
 
〇沙都子の発言
 
色々メタいことを言ってる風に聞こえるけど、完全にL5(末期状態)なんで、これを過度に意味付けするのは危険と感じる。どちらかと言えば、梨花の発言と「たまたま噛み合っている」と考えるのが妥当ではないか(梨花の回想については後述)。
 
 
〇惨殺・残酷描写の意図
 
これは二人のやり取りからもわかりやすいが、一つは梨花に「業」を自覚させること(ただし沙都子の言うそれが「ひぐらし 業」全体に関わるものと一致しているのかは大いに疑問)、もう一つは梨花≒視聴者をリザイン(ギブアップ)に追い込むことだろう。
 
これもやはりうみねこの構造を思い出させる。うみねこでは「魔女の存在を認めるか、あくまで全て人為という主張を貫き通すか」という戦いだったか、その中でepisode2は完全に人為では不可能な描写が濫発され、人為派を理論・感情ともに瓦解させるよう仕掛けられていた(あの展開を論理的に全て説明するモチベーションがそもそも湧くのか、という話)。
 
少し先取りして言えば、今回の戦いは「梨花が張りぼての『ひぐらし 業』の世界に止まり続ければ敵側の勝利」、「梨花が世界の脱出方法[注:生き延び方とは限らない]を見つけて実行できれば梨花の勝利」ではないかと私は見ているのだが、ここまでの展開で散々精神的に疲弊の極みにある梨花は、転生すぐの死&「業」を指摘されながら残酷にいたぶり殺されるという最も救いのない死を経験することで、ほとんど敵側に投了する瀬戸際にまで追い込まれているという印象である。
 
 
〇殺害シーンのリアリティ欠如から考える「ひぐらし 業」の世界構造
 
・痛み止め効くの速すぎ問題(打った瞬間に効くわけねーだろw)
・梨花のHP(生命力)がおかしい問題(もっと早くショック死してますわ)
 
先にも述べたように、ここでの残酷描写は梨花を投了に追い込み、彼女がそれに従う必然性を担保する(視聴者に納得させる)こと、そして視聴者自身に思考停止の揺さぶりをかけるという演出意図はあると考えられる。しかしそれ以上に、鬼騙し編や祟騙し編で見られた圭一のHPおかしい問題、あるいは猫騙し編で圭一がエンジェルモートにて大量殺人をした場面で見られた「一人であれだけ大量の人間を撲殺するのは確実に無理でしょ」問題など、「リアリティに欠ける」程度の言葉では生ぬるいほどおかしな描写がそこかしこに見られる。
 
これも繰り返しになるが、うみねこと同じでこの世界が虚構内虚構であることを暗示していると考えられる(象徴的な意味合いを持つ場面もあるとは言え、うみねこでは現実でありえない描写が多々登場することを想起したい)。そしてこの想定が正しければ、梨花がこの世界に順応することは、ハッピーエンドを意味しない(これが前回「正しい死に方をすることが重要」と考えた理由でもある)。それは単に、昭和63年に生きているはずの彼女(の意識?)が虚構の昭和58年に縛られ続けるだけだからだ。
 
 
〇犯人から考える「ひぐらし 業」の世界ルール
 
今回の犯人は沙都子なので、いよいよ残りは詩音一択となった。となれば、昭和63年に詩音と梨花の間に何らかのトラブルが生じたのではという前回の考察を押したくなるが、事はそう単純ではない。
 
というのも、鬼騙し編から猫騙し編における梨花殺しの犯人を並べてみると、「不明→魅音→大石→赤坂→公由→園崎茜→圭一→沙都子」となり、(綿騙し編の魅音は若干微妙だが)全員がL5の症状を発症していることともに、ご丁寧に一度も犯人が被っていないことがわかる。この法則性を踏まえると、不明なままの鬼騙し編の犯人は(部活メンバーで絞った場合だが)レナ・魅音・詩音となり、レナは圭一の反撃で死んだため当然除外され、魅音は病室での描写から症候群発症の可能性が極めて低く・・・となると、もう詩音しか残っていない。
 
仮に詩音が鬼騙し編の梨花殺しを遂行した人物とすると、梨花殺しに関わっていない主要メンバーは「誰もいない」という結論になる(もちろん、部活メンバー外に話を広げれば入江・富竹・鷹野という、これまで梨花を殺してきた人々を考えれば最も胡散臭い3人が残っているわけで、それだけに第16話のラストは「いよいよ来たか・・・」という感があるわけだが)。
 
とまあそんな事情で詩音ー梨花ラインを「ひぐらし 業」の世界発生の理由に据えるにはもう少し材料が必要なのだが、加えて今回の死亡シーンにおける梨花の回想(まさに「業」を巡る話)を見るに、実は「未来の梨花自身の罪悪感が彼女をこの世界に押し込めている」可能性も出てきた。回想内容からすると、梨花が雛見沢を離れたことで沙都子に何かしらの悲劇が起こり、その罪悪感で梨花は一時的におかしくなってしまっているのかもしれない。
 
この点を踏まえつつ、第17話の発表を待ちたい。

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