これまで、再三日本人の無宗教(この言葉に「 」はつけない。以後同じ)に関する疑問や考察を書いてきた。これについて、10月末に北陸旅行をした際ある程度考えをまとめたので、それを記事にする前にしばしば上がる日本人の無宗教に関する諸々の考察やそれへの反論を書いてスタートラインを確認しておきたい(なお、現代日本において自己を無宗教と認識する人の割合は70%を超えるとされ、その意味で特殊な状況と言える)。
1.多神教的土壌であった日本においては、そもそも「一つの宗教を信仰する」ということ自体が不自然なのではないか?
インドにおけるヒンドゥー教の例がよい反証となる。言うまでもなくヒンドゥー教は多神教であるが、インド人の大半が無宗教であるなどという論は聞いたことがないからだ。つまり、多神教であることは無宗教の十分条件ではない。ここで「日本ではいわゆる神仏習合が進んでいたため多神教であるだけでなく複数の宗教の集合体という点でインド、あるいはヒンドゥー教と違う」という意見が出るかもしれないが、それは少なくとも二つの点で誤りである。というのも、ヒンドゥー教は仏教やジャイナ教、イスラームといった様々な宗教と競合はしていたが、単にそれらを排除するのではなく、むしろその諸要素を取り入れることでよく言えば包摂、悪く言えば無化していった歴史的経緯があるからだ(その他の例として、タイは仏教国として有名だが、そこにはバラモン教的要素だけでなく、サイヤサート≒呪術的要素が多分に含まれている)。次に、そのような見解では1952年における読売新聞の調査において、自分の「家の宗教」を聞かれ90%近くの人が「仏教」と答え、残りもほとんどは「神道」と解答していたことの説明がつかない。これは次回触れるが、「古来日本人は無宗教的であった」というような、言わば丸山真男の「歴史の古層」的視点を宗教に応用するのは、深刻なミスリードを招きかねないと思われる。
2.日本に一神教は合わない
これは先の1と元を同じくする見解だが、よく知られているようにかつて世界は多神教が支配的だった。これはキリスト教世界として印象が強いであろうヨーロッパでも変わりはなく、古代ギリシア・古代ローマ・古代ゲルマン社会全て多神教であった。またユダヤ・キリスト・イスラーム、いわゆるセム的一神教発祥の地である中近東も、クルアーンに表れるカーバ神殿の描写のごとく多神教が支配的であった。そこに一神教が入り込んできたのである。つまり、端的に言ってしまうと、「日本=無宗教=特殊」→「現代世界でマジョリティ=普通の一神教は馴染まない」という発想は、近現代というフィルターと日本=特殊論というフィルターによって生み出された、二重に誤った見解であると言わざるをえない。日本がそれらの地域とは違うと言うのなら、先のヒンドゥー教の件と併せてその論理的説明が必要だろう。
3.島国の特殊性によるもの
カトリックの多いフィリピン(南部はイスラームも多い)、仏教徒の多いスリランカ、キリスト教のイングランド・アイルランド、と反証は枚挙に暇がない。また、言うまでもないことだが、日本は文化的に隔絶していたわけではなく、そもそも仏教も大陸から渡来したわけだし、戦国時代から広まったキリスト教も大航海時代によって渡来したのである。これらの事実に目を向けずに島国=特殊と考えるのは偏狭な思いつきの域を出ない。ただし、この観点で「ではフィリピンなどの国々と何が違うのか?」と考えた場合に一つ興味深いのは、植民地化の問題である。もちろん、韓国併合がすなわち韓国の神道化に繋がらなかったように、植民地化=宗主国の宗教になることを意味しない(余談だが中国における仇教運動、韓国における東学党などを想起したい)。しかしながら、(島国ではないが)アフリカの植民地化においてリヴィングストンすなわち宣教師の名が出てくるように、植民地化によって宗教状況大きく変わりうることはいくつも事例がある。その点において、GHQ占領の際にマッカーサーがキリスト教の普及を企図していたにもかかわらず後にそれを方針転換したことは、一応日本人の無宗教に与えた影響の一端は担っていると言えるかもしれない。
4.アメリカ的物質至上主義の影響
これもよく取りざたされることである。「近代化が宗教の世俗化を伴う」というのは一つの定説でもあり、マテリアルな要素による生活の満足感の向上が、宗教の必要性を減退した点は否定できない(ただしこれには二つの保留すべき点がある。一つは、そもそも日本は近代化しているのかということ。もう一つは物質的要素がある程度まで満たされたのち、人は再び精神的な充足を求めて宗教に回帰することがある、ということだ)。しかしながら、これにも大きな疑問が生じる。すなわち、「ではなぜ当のアメリカは日本のようにならなかったのか?」ということだ。もちろん、ロバート・ベラーの「市民宗教論」を参照してアメリカの特殊性をこそむしろ強調することもできるかもしれない(そもそも論として、アメリカ=物質至上主義的見解は、西海岸といった日本がイメージする先進国としてのアメリカに引きずられ過ぎであって、バイブルベルトであるとか移民といったアメリカそのものの多様性を等閑視していると批判できる)。では次の疑問として、アメリカ的物質至上主義はコンテンツを通じて様々な国に輸出されているし、また半ば植民地のように大きな影響力を行使している国も存在しているor存在していた(典型がフィリピン)。にもかかわらず、日本のように無宗教が支配的になっている国というのは少なくとも私の知る限り存在しない(その影響が全くないのかどうかとは、別の問題である)。であるならば、アメリカ的物質至上主義なるものの影響を認めるとしても、なぜ日本はそれほどまでに影響を受けることになったのか(=他の国との差異)、という考察が結局は必要なのである。
5.共産主義の影響
1960年の安保闘争や1968~1970年の全共闘時代のイメージから、「その世代が共産主義に影響を受けて無宗教化していったのではないか?」という見解であるが、正直なところ、これはかなり眉唾ものであると言える。たとえば、試みに1968年の短大・大学進学率を見てみると、25%にも満たない(男子が24.7%で女子が21.4%)。短大・大学進学者は、今日(50%を超える)と違ってマジョリティとは言い難いのである。加えて、最近話題になっている「日本会議」の前身となった生長の家の運動の内実を見ればわかるように、(当然と言えば当然だが)当時の学生たちは猫も杓子も共産主義だったわけではなく、強烈に反発する人間もいれば、強い主義主張を持たず時代の「空気」に引きずられた層もいたのである。こう割り引いていけば、数の問題として一体どれだけの割合が共産主義にコミットしていたのか?まずこのような根本的疑問がある。次にその共産主義の内実だが、それはどこまで徹底して宗教批判的なものであったのだろうか?わかりやすい比較の例を出すが、毛沢東によって扇動された文化大革命では「旧態依然とした思想」の残滓として儒教や仏教などが批判さらされ、その遺跡が多数破壊されるという事件が起きている。しかし、日本における学生運動がこのような宗教施設の破壊といった行動を(少なくとも大規模に)といったという話は寡聞にして知らない(そもそも、「宗教はアヘン」という有名な言葉の載る「ヘーゲル法哲学批判序説」を読みこなし宗教批判の視点を構築しえていた人間がどれほどいたのだろうか?)。そして、あえて皮肉を込めて言えば、もしもその人たちが共産主義を通じて確固とした反宗教の信念(あるいは無宗教の立場)を持っているのなら、どうしてその世代である60代は今も雁首そろえて初詣や寺社仏閣巡りをするのであろうか?おそらく「皆がそうするから」ということであろうが、言ってみればその程度のものでしかないのである。以上から結論を言えば、共産主義が日本人の無宗教に影響を与えたとする見解には首肯できない(ちなみにこの話はただ嫌味で言っているのではなく、次回の記事内容に密接に関わってくる部分でもある)。
以上が主な無宗教に関する見解の列挙と反論である(正確には、これらを見ていくとより深い考察も可能なので、批判的に吸収していくべき視点と言ってもいいだろう)。日本国内だけ、あるいは過去の日本社会のイメージで考えると一寸腑に落ちそうになるが、他国の状況との比較や数字的エビデンスを持ち出すと途端にその奇妙さに気づかされることに注意を喚起したい。さて次回はこれらを踏まえて日本人が無宗教と自己認識する状況がどのようにして構築されたのかを考えていこうと思う。
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