セレン龍月の契約解除に対する反感の分析:ホロライブ運営との距離感・信頼との比較

2024-02-12 17:14:22 | Vtuber関連

前回の記事において、にじさんじENに対する海外リスナーの不信は、言わば『セクシー田中さん』の問題などで批判にさらされている今の日テレや小学館と同じではないか?と述べた。この見立てが正しいとすれば、「こういう違法行為がありました」とにじさんじENが詳細に並べ立てたとしても、「どうせお前ら自分に都合の悪いことは隠しているんだろう」という不信からスタートしているんで、必要なことは事実説明以上に信頼回復・・・ということになる。

 

ただ、実際にはこの「信頼回復」が相当難しいように思う。その大きな理由の一つは、にじさんじの「運営者が見えない構造」だが、これに関しては比較対象があった方がわかりやすいので、ホロライブに所属していた夜空メルの契約解除とその対応を例に挙げたい。

 

彼女の場合、契約解除発表の後で発言する機会を与えられただけでなく、谷郷社長自らがその功績を労いつつ離脱を惜しむ投稿をしている(ちなみにスタッフのAちゃんも動画で契約解除の件に触れている)。こういった対応が、本心は別にしても、どのような戦略的効果があるのかを考えるべきである。

 

 

 

 

そもそも夜空メルの離脱は「情報漏洩」という理由しか発表されておらず、その意味で「内容の不透明性」という観点で言えばセレン龍月よりよほどその性質が強く、また伏線のあった潤羽るしあなどと違い、極めて唐突な出来事でもあった(念のため言っておくが、「機密情報の漏洩である以上、何を漏らしたかをそもそも言えない」という会社事情などは理解しているつもりだ)。しかし、契約解除自体は潤羽るしあと同じ措置であっても、運営側の対応としては社長自身も発言するなどむしろ桐生ココの時に近いものであり(もちろん卒業イベントがないのは当然として)、結果として夜空メルの契約解除によって大きなハレーションが起こったという話はついぞ聞いていない。その意味で言えば、諸々の先行事例を踏まえたと思われる夜空メルに関する企業の立ち回り(という言い方をあえてする)は、概ね成功したと言えるだろう。

 

ただ、この話に自分が触れた際にだいぶ留保をつけながら書いたのは、こういった対応を契約解除が決まってからいきなり小手先のテクニックとしてやったとしても、効果は薄かっただろうと思うからだ。もう少し詳しく言うと、

(1)
にじさんじという、レギュレーションさえ守れば良くも悪くも放任される離合集散の激しいアソシエーション的企業に対して、ホロライブは入れ替わりの少ないコミュニティ的性質が強い(端的に言えば、後者の方が「より丁寧で温かみがある」という印象を持ちやすい)

(2)
運営側について、少なくともYAGOO、Aちゃん、春先のどかのように複数の人間が顕名かつ継続的に発言しており、要するに「ある程度運営との距離が近いと感じやすい」構造になっている。このような特徴はにじさんじJP・EN問わず見られない(もっとも、他の企業でも固有名で運営者・スタッフが認知されているケースは少なく、せいぜい「ななしいんく」の大浦るかこ、VOMS projectのGYARIくらいではないかと思う)。

といった特徴と、それまでの積み上げがあってこそだからだ。

 

で、繰り返しになるが、にじさんじにはそれらの特徴は全くない。だからリスナーからの運営への距離感は必然的に遠くなるし、一旦信頼を失うと取り戻すのが難しいのである(例えば、所属ライバーに「運営にはよくしてもらってる」とかこのタイミングでわざわざ言わせるのは明らかに悪手だしね)。またそうである以上、運営の反対側に立ったライバーの肩を持ちたいリスナーが、それなりの数出てきてしまうと。

 

今回のセレン龍月の契約解除に関する日本と海外リスナーの反応の差異は、およそこういった要因で説明できるのではないだろうか。この見立てが正しければ、仮に訴訟などが行われたとして、にじさんじEN側が一方的に敗訴する可能性は低いと思うが、とはいえ同組織への反発は様々な要因で作り出されたものであるため、容易には解消しないだろう。あとは公式チャンネルや所属ライバーの登録解除がどの程度継続・波及するかによって、今後の戦略は変わってくるものと思われる。

 

以上。

 

 

【余談】

あんま本質的じゃないかなと思って前の記事で書かなかったけど、リスナー歴が長い人にとっては、楠栞桜や金魚坂めいろのように、ライバーの中には信用できないどころか、「獅子身中の虫」となって自グループの破壊に大きく貢献するような手合いもいたことを念頭に置いているケースもあるかもしれない。

まあもっとも、それなら「ゲーム部」や「ゆにクリエイト」のように、運営がやらかしてたりそちらが疑わしいケースもちょいちょいあるわけで、短い歴史を見ても「企業>ライバー」という信頼度のプライオリティが一般的に成り立つのかはいささか疑問であるのだが(まあVtuber運営企業って参入障壁が低いからね・・・)。

ただにじさんじJPの場合は、「古参+大手」という長年築いてきた信頼があるためライバー個人よりそれが上回るケースが多いんだろう、というのは前に書いた通りである(実際、どう見ても不法・不当・不義理と言えそうな対応を運営がしているケースはお目にかかったことがない。まあそれがイコール働きやすい環境かどうかはまた別の話だけど)。

あるいは、セレン龍月の自殺のほのめかし等についても、「ヤンデレ」「メンヘラ」といったもののキャラ化や、Vtuberがそういったものと親和性が高いという日本の見方が多少は影響しているかもしれない(そもそもVtuberとは、自分を売り込むためにそういうキャラ設定を強調するものなので)。

これは「どの程度その発言をリテラルに取るか」において、例えば日本とカナダなどでは大きな差があるかもしれない、という意味だ(とはいえ、いわゆる海外ニキのアニメ視聴動画などを見ると、そういったキャラ性が日本のコンテンツを通じてそれなりに認知されてはいそうだが)。

なお、海外リスナーが日本語訳の上で投稿したコメントで、「Vのガワを重視する日本のリスナーに対し、海外リスナーの方が中の人を重視する傾向が強い」というものがあった(だから転生先をそのまま追いかけることが多いとか何とか)。これがどの程度的を射ているのか私には判断が難しいと感じるが、確かに、V Shojoの所属タレントが以前ホロライブのタレントについてそのRPを揶揄する発言をしてリスナーから反発が出てキアラとV Shojoのコラボが中止になる事態まで発展したことがあるので、まあそれなりには根拠があるのかもしれない。

そしてそうだとすると、タレントの発言を「キャラでそう言っている」というより、そのまま生の人間が発言したのと同じように受け取り、かつメンヘラ的な「ノリ」での発言というより、割とガチ目のそれだと認識する傾向が強い可能性はある。

またあるいは、ホロライブENが同JPと比べクリエイターの側面をより重視しているように、「JPリスナーのライバー観=芸人という見方が比較的強い」、「ENリスナーのライバー観=クリエイター・アーティストという見方が比較的強い」というような所属タレントへのイメージが異なる面があるのかもしれない。

こうなってくると、話はカルスタとか「アイドル論」みたいなものにまで及んでくるが(こうなると、恋愛ADVとその欺瞞などとも話がつながってくる)、そこまで踏み込む準備は全くないので、まあその辺は気が向いたらいずれ書くこともあるかもしれない(・∀・)


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