天然のウナギと養殖のウナギを比べた場合、前者は育つ環境が異なるため個体差が大きく、後者は同じ(安定した)環境で飼育されるため個体差が少ないらしい。言い換えると、前者は体格がよくて脂の乗っているものは筆舌に尽くしがたいほど美味いが貧弱なものも存在するのに対し、養殖のものは味が一定の水準を保ち差がないのだそうな。
ただ推測できることとして、好き嫌いはあれど、例えば天然モノの値段が上がり(実際そうなってきているわけだが)、かつ今よりいっそう養殖モノの味の向上(質の安定化)が進めば、養殖や天然にこだわらないのはもちろんのこと、むしろ養殖の方がよいと考える人が増えていくことは間違いないだろう。
私は、認知科学やAIの発達によって人間の神経伝達物質の研究が進んでそれが薬物的にトレースできるようになった時(つまり外的にコントロールできるようになった時)、これと同じことが起こるのではないかと思う。すなわち、最初こそ人間の自然に発露した感情を重視する人が多いだろうが、開発が進んで値段が下がったり効果が出やすくなったり副作用が少なくなったりしていけば、徐々に薬物派が増えていくという意味である(ちなみにこの傾向はノイズ排除と相性がよい。fake newsやalternative factの例からすれば、今の世界はこの傾向がどんどん加速しているように見えるが、大半の人は情報の大海から正しい、あるいは蓋然性の高い事実を構築する時間も気力も持ち合わせていないのだから当然である。そしてそのような「後ろ向きな真実よりも、前向きな嘘でいい」というエートスがあるなら、しばしばuncontrolableな天然の感情よりcontrolableな人工的感情を求める傾向には、副作用の問題といった機能主義的な理由を除けば、歯止めがかかる理由は存在しない。ちなみに私はこのような理解から右翼的な主意主義には全く説得力を感じず、むしろnew reactionism的世界の到来は不可避と考える。なお、老婆心ながら言っておけば、昨日の対談動画の片山も鈴木も主意主義を無批判に称揚しているわけでは全くない)。
もちろん、天然ウナギを求め続ける(たとえば前述の主意主義に立つ)人がおそらくいなくはならないように、薬に頼らない感覚や感情の発露を是とする人間は一定数残るだろう(グーグルアースやマップでルート検索できるにもかかわらず、あえて何も調べなかったりアナログで調べて旅をする人が残り続けるように)。しかしそれは、「趣味」・「嗜好」の問題として徐々に少数派(one of them)となっていくのではないだろうか?そのように思うのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます