<万惣フルーツプーラー、やまいち、やぶそ> 「嘲笑の淵源」
そのエートスを知らなければ、いや少なくとも知ろうとしなければ、否定も肯定もできようはずがない。それがいかに受け取られたか、という視点。これがなければ、アンダーソンの「想像の共同体」を聞いて「虚構だから意味がない」と考えるがごとき愚行(皮相的な理解・思考)を犯すことになる(じゃあ「実在」って何やねん?擬制というものへの観念)。セルジューク・オスマンの家系図。捏造→なぜそうしたのか?正統性の担保→末子相続や長子相続が正統と観念されていたことを意味する(遊牧民的な観念→モンゴルのトゥルイを想起の変化)。不安のポピュリズム、多様性フォビア、ナチズムへの傾倒。
<アンチオイ河出文。赤羽、月、金> 「調和と地雷」
ある程度の共通前提があれば、「しかしここは違う」というコミュニケーションが成立しうる。しかしそれが少なくなってもなお同じように調和を重視するなら、人はどのように、どこまで踏み込んでいいかわからず抑圧的なフラットさが支配する。社会の変化に伴う必然的な変容だ。
<京都>
一月に二つ返事。新幹線内どんな話が振られるかわからない→恐いから俺寝る。タクシー内。最大限気を遣ったつもりかもしれんが、明らかにデッドボール。案の定ピッチャー返しが飛んできた。しらんふりしてテキトーに切り返しときゃ和気靄々としてられたのに~。
<デスノート>
漫画をタイムリーに読んでた。途中で投げ出した。最後は知らないまま。ホルモンが歌ってることも知ってた。ゲオ100のうちに絶対を見終わる→デスノートのオマージュあり、アニメ版に興味。op.ed非常によい。op啓示を戴いた者の高揚感・使命感。edは憂欝さ・哀愁。美空ナオミがゾクゾクこの痛みずっと待っていた!ミサこなた声で笑える(鷲宮)→場違いアニメ声=浮いた印象狙い?漫画を見た当時と今の違い。今見ると→マスコミというフィルターを通した裁き、自分を守るために殺していく(正義のための悪は許されるか?)、ミサに対する態度は死神(ジェラス、レム)の方がよほど「人間的」等。気付かなかった→かなりキラ寄り。滅びリンク。必然的な反応。
<デス2>
「人間は醜い」は、ミサを助けようとする「人間的な」レムが発言するからこそ意味がある。リュークがだったらお前が言うな、だw自己犠牲や他人への思いやり→「人間的」。あくまで自分の利益になるように行動するライトとの対比。エル萌え。いじけてる姿がかぁいい。繰り返されるライトの青臭さ→正義感ゆえに悪が許せない。力と暴走、嫉妬する必要がないだけの容姿、知力、身体能力。目隠しされたミサがエロすぎる。一編丸ごとレクイエム。歌、鐘、足を拭くL→敗北。仲間を消されていく違和感。ヨツバ(ユーチューブ?)のメンバーを一気に殺す→明らかに不自然→もはや何にも遠慮していないことを象徴。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます