混沌の渦 弐

2007-04-14 11:02:59 | フラグメント
第二段。書籍に関するメモ書きが姿を消し、全て覚書で構成されている。


「平凡で価値が無い」何を当たり前のこと言ってんのか。個人などいなくても世界は回る。あるのは生きたいという願望だけだ。そうであるに違いない、は往々にして「そうである」と同じものとして扱われてしまう、三国志を避けてきた訳…勧善懲悪、いきなり正史へ、狂人かどうかを決めるのは自らについて説明できるかどうか(ヴェロニカは死ぬことにした


民主主義と「空気」、魔女裁判、王様は裸、正しくないのに逆らえないのが空気、宥和外交と空気、他者に容易に自分を投影する。生理的嫌悪感、場の空気には誰でも服す、例えば寺院。完全制覇、オカマ、銀英伝と西洋史辞典(ドロイゼンのだめ講談社、12人の優しい日本人、韓国的民族主義の成立と宗教、大切なのは認識。歴史も宗教も同じ、一億総中流化の欺瞞、お釣り、沙耶の唄:伏線と多層的な意味により濃密な物語展開を可能にした。しかし他のレビューを見れば、そういった点には触れずに狂気や画像について述べるものばかりだ。そしてあまつさえ、「説明不足」とさえ言う。いったい何を読んでいるのか?妄想代理人:マロミに萌える人々、人に責任を押しつけてばかりいる人々、そこにある欺瞞、沙耶の唄:資料集からすれば、沙耶の側は作者にとって所詮敵でしかなかった


一人の命より二人の命、だから危険な兆候はすべからく…というのは行きすぎ、常識の真逆こそが正しいと考えるのはむしろ常識に呪縛された考えと言える(そこにあるのは皮肉屋か天の邪鬼の精神)。というのもそれは、常識という枠組みがあって初めて成り立つからだ(普通なしには異常が成立しない、あるいは感動なしに無感動が成立しないように)。もし常識を疑うなら、それが真理ではなく、(世相や人間の傾向が反映された)有効な情報の一として相対化することだ。
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