wandering - wondering

2021-04-19 11:55:55 | ぶらり旅
 
 
今私は東京都小平市駅前にいる。
ここを訪れたのは、およそ20年前所沢に住んでいた時、小平駅前はビルの全くない非常に独特の景色をしていたことが印象に残っており、いずれその様子を実際に歩いて確かめたいと思っていたからだ(余談だが、拝島線への乗り換えがある駅でもあるため、多少長い時間駅のホームに佇むことが何度かあったのでその風景がより記憶に残りやすかったのだろう)。
 
 
というわけで、小平の駅前まで来たわけだが、疑問の理由は実にあっさり解消された。小平駅の北口には、広大な霊園(写真)が存在していたのである!なるほど、これなら雑司ヶ谷霊園などと同じような状況として納得できる。
 
 
予期せぬ形で謎が解けた私は、霊園の中を歩きながら、あれこれぼんやりと考える時間にあてた。
 
 
日本人の「無宗教」について論ずる時、決まって葬送儀礼、というか「葬式仏教」の件は話題に上がるものの一つだ。色々な視点はありえるだろうが、仮にこれを信仰と直結させるのはいささか視野狭窄だろうと思う。例えば、『ホモ・ルーデンス』末尾の対談にも登場する、「友人の葬式に参列する共産主義者は無神論者か?」という議論を思い出してみるといい。おそらくそれは否定されるか、問いの立て方が乱暴だと批判されるだろう。
 
というのも、葬儀への参加は「友人の死を悼む」という目的においてなされるわけで、参加者の信仰心を試すためのものではない。これは、キリスト教式の結婚式に参加したからといって、あるいはクリスマスを祝ったからといって、キリスト教徒になるわけではないのと同じである。要するに、儀式と信仰を直結させることは、様々な事例を考えれば極めて短絡的な思考様式と言わざるをえない。もちろん、世界中を見渡せば宗教的儀礼と信仰が深く結びついている事例をいくらでも挙げることはできる、という反論もあろう。
 
ならば、日本人の「無宗教」を考える際に、宗教的儀礼と信仰の分離の過程を見ていくことは、なかなかに有意義な視点の一つではないだろうか。それこそ、江戸時代の檀家制度、明治時代の神道=無宗教という定義と国教化的政策、そうして長い時間をかけて表面化・形式化した儀礼から戦後の都市化や核家族化によって伝統的共同体から分離する中でますます距離がとられ、信仰心との乖離が進んだ云々・・・という具合に。
 
そう言えば、昨日の記事では『五匹の子豚』を歴史や価値観の相違を巡る寓話として優れていると書いたけど、具体例としてはオーラルヒストリー(例:戦争体験と語りの多様性)だとか、歴史分析において回顧録や回想録が取扱注意な理由なんかを挙げとけばよかったな・・・
 
 
というわけでひとしきり霊園を見て回った後、折角なのでそのまま西武線を北上して以前の記憶を辿ることにした。久米川駅はこれといって印象もないのでそのままスルーして、東村山駅は当時見た景色でやたら大きいビルが多い印象だったけれども、ちょっと周囲を歩いてみればいくつかの建物がそういう印象を与えるだけで、実際には久米川駅などと大差ないことがわかった。
 
 
こうして長い時を経て自分の記憶を実態にあわせてチューニングしているうちに、所沢駅まで到着した。前回は狭山ヶ丘駅から所沢まで「刃牙トークッッ」を聞きながら歩いてもみたので、これがゴールでよいだろう。西武線は全体として駅の改装工事が行われてどこも綺麗で清潔になったけど、特に所沢は周辺の再開発も含めて目覚ましいものがある(正直昔はプロぺ通りとダイエーが申し訳程度にあるだけで、これほど融合的・複合的な都市の造りにはなっていなかったと思う)。ただ、プロぺ通りでも大きな建物がいくつも空きテナントになっていたのは、やはりこういう状況下であるためだろうか。そんなことを思いながら、外れのブックオフで古本を三冊買って帰宅することにした。
 
 
その中で、墓地の歴史や東京の霊園とその由来、西武拝島線の歴史、あるいは駅の設定の仕方に関する疑問などが様々浮かんできて、機会があれば調べてみようと思った次第(ちなみに、今回のような理由で行ってみた場所には東船橋や多摩湖などが挙げられるが、その時のことはいずれ別の機会に書こうと思う)。
 
 
 
なお、花小金井から所沢までの放浪中に見た動画の一部を紹介しておこう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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