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優れた作品を見たとき、もうこれ以上のものに出会うことはないのではないか?我々はついそのように思いがちである。しかし「後生恐るべし」とはよく言ったもので、次から次へと珠玉のエロスが生み出され我らは休む暇がない。たとえば今そのような存在として挙げうる一人が、「たまごろー」という御仁である。
彼には「サンキューベリービッチ」の頃から注目していたし、また同人作品もポケモンシリーズやフェアリーテールなどほぼ全て読破している(ちなみに両作品とも原作の知識はほぼ皆無なり)。しかして我が印象は「そつのない巧打者」というものだった。どの話も80点の水準にはある。しかし、100点はない。だから強烈な印象に残る作家とはならない、と。ご飯の友というものはバランスを求められるようでいて、実のところ我らが目を離せぬイコンがただ一点でもあればそれで事足りる。ゆえに、ポイントを積み重ねるようなジャブはたといそれが正確でも実は我らの深奥に届くことはなく、リカルド=マルチネスなんてクソくらえで花山薫こそ最高なのだ!そう思っていた時期が自分にもありました。
しかしそんな思想も、今回の経験より撤回せねばならぬと思っている。実際、今回の「ハ〇トモコレクション」では一つの場面に釘付けになるのではなく、どの場面を見ても少しづつコスモが昂まってゆく我を感じるのである。キャラクターが基本ムチムチであるにもかかわらずムチムチすぎることもなく、それなりに激しい合体描写があるにもかかわらずそこまでドロドロになりすぎない。そして幼さの残る絵柄と自ら激しく行為を求める淫猥さの融合・・・「露裏顔に募院体型」が二次元エロの特徴と言われて久しいが、そのようなキマイラ的身体をむしろ最大の武器としそれに翻弄される雄どもの姿がそこでは余すところなく描かれており、そこには気持ち悪さどころかむしろ完成されたエロスを感じるのみである(その点、同じ「ビッチ」でも水龍敬のそれはかなり印象が異なる。彼の描くボディラインの完成度がどこか我らの調伏しがたい自立した他者を思わせるのに対し、たまごろーのキャラはどこか幼さゆえの向こう見ずさが常に想起されるのである)。そして気がづけば、ますらの先より熱き血潮ほとばしりじっと手を見ることになるのだ。
このたまごろーという名のマイスターをしてキマイラ的二次元エロは一つの完成形を見たと私は宣言しよう。嗚呼、次なる彼の作品まで我が身がもつか・・・そればかりが心配の種である。
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