(登場人物) シュターデン=S 荒耶=A
S
荒耶、何を求める?
A
ハァ?
S
真の叡智を。
A
おい、勝手に話進めんなって。
S
どこに求める?
A
これじゃ対話篇の意味がないでしょうが!
S
心の中に。
A
・・・いい加減にせんと兼定でたたっ斬るよ。
S
あいあーい。今回は「灰羽連盟」に引き続いて「聖☆おにいさん」を取り上げたいと思いますですはい。
A
つーか、あれから四ヶ月も経ったんやね。「アイスでも食いにいかん?」とか言ってたのが懐かしいわw確かあの時は世界の未規定性を相手が受け入れることのできる状態にするために云々とか書いてたけど・・・
S
いや、今回はそんな小難しい話じゃないよ。ポイントは二つある。一つは、「奇跡」などのネタ化・日常化。たとえば、水が怖いイエスが気合を入れてプールの中に入ったら水が真っ二つに割れた、ってエピソードあるじゃん。
A
ああ、確か「ジーザスクライスト!」と叫びながら飛び込んだら水の方が避けちゃったみたいなねw
S
そうそう。そんな風に、「奇跡」がネタ化されて日常性に落とし込まれているから、ほのぼのしているってゆうか親しみやすいんだよね。ペトロが怪談話として水の上に浮くイエスの話を持ち出して「天上界でもバカウケなんですよ」とゲラゲラ笑ったら、イエス本人もそれにノリツッコミしたりとか。ブッダに関しても、普段額の白毫をやたら押してくる小学生が天敵って時点でもう笑えるんだけど、宿題用の朝顔で両手ふさがってる小学生に余裕の笑みを浮かべてにっこり笑いかけると、朝顔が満開になってしまい観察日記がつけられない!と涙する小学生がいて、イエスがたしなめてみたり、と何ともアホというか無駄な奇跡は枚挙に暇がないね。
A
それ言ったら、「奇跡」ではないけど、ファミレスに4時間居座った時にウェイトレスさんの視線を気にするイエスに対して、ブッダが「私が出家前に宮廷で座禅組み続けた時の家族の視線に比べたらまだまだ」と言ったりするのもすごいよねw比較対象が大げさすぎて笑えるw
S
つうかそもそも、イエスもブッダもあんなにスゲー力を持っててスゲーお供(?)たちもいるのに、なんで最新の炊飯ジャーとかPCとか瑣末なことに拘泥するのかって話だよなwこの辺はちょっとドラゴンボールの「神と神」のテーマを連想する部分もあるけど。
A
そこのギャップがおもしろいよなw他にも、フルーツ狩りでりんごの果樹園行ったとき、子供が食べないよう必死で説得するイエスに対して、ブッダが別にいいじゃんと食べさせたんで、子供から「ぶっだとけっこんする」と言われ、もう結婚してると答えるブッダに「不倫は文化だなんて言わせないよ!」と本気で突っ込むイエス&子供の父親の姿がまたねwしかもその後でイエスはりんご食っちゃってるしwネタのオンパレードですわw
S
なるほど。ところでさあ、お前はそういった特徴をどう評価してるわけ?
A
おもしろいしと思うし親しみやすくもあるから、宗教関連の話題に興味を持つ入口としてもいいんじゃない?ただ、「灰羽連盟」のようにその親近感が「感情移入」を生み出すがゆえに、後のシリアスな展開がネタ化されずストレートに突き刺さってくる、というような有機的な流れはないけどもね。
S
まあそれはそもそも狙ってないでしょ?「まったり行こうぜ」というか脱力系な感じというかね。
A
それは確かに。ただ、俺的にはそのネタ化が戦略的なもの、つまりconscious loosenessならとても興味をそそられるわけよ。前にZエモンさんが「これ海外で放映できねーだろw」的なことを言ってたけど、そういう差異が意識されざるをえない環境では「いや、別にそんな違わねーし。つか違っても別にいいんじゃね?」という対立をキャンセルするようなノリは大事だと思うね。
S
たとえば「デカメロン」みたいな感じで?
A
そうそう、あの巨乳の。
S
そういう「デカ」でもねーし「メロン」でもねーよ!あそこに出てくる「三つの指輪」の話とか象徴的じゃん。
A
まあそうだよね。サラディンに向かってユダヤ人が「イスラームもキリスト教もユダヤ教も、同じ神から啓示をもらったのにどれが正しいかいがみ合ってるのはアホだ」と言ってるわけだけど、いくらシスマがあったとは言え、十字軍終了から100年も経ってないあの当時に書いたのがすごいと思うよ。
S
で、それと同じような役割を「聖☆おにいさん」も果たしうる、と?
A
前述のような対立のある、もしくは対立を自明視する環境においては、ね。まあ日本の場合は宗教的適当さを強化する方にだけ作用するんじゃないかしらんwそれはそれで一つの現象として興味深いけど、鷹揚さと無神経さは紙一重だということも認識しておいた方が賢明だと思う。ただ、繰り返しになるけど、そういう差異というか対立が自明だと思っている人たちにとって、相対化というか脱構築の材料になればいいんじゃないかな。
S
ソウデスネ。で、ポイントの二つ目は?
A
「キャラ化」ですわ。
S
具体的には?
A
たとえば、第四巻でブッダの弟子のアナンダって出てくるじゃん。
S
ああ、あのブッダの追っかけみたいなヤツねw
A
追っかけ言うなやwで、彼はブッダの超熱心な信者なわけだけど、あまりにブッダの話を熱心に聞くもんだからその間に背中の手術を麻酔なしでやっても笑顔のままでブッダさえもドン引き・・・という話があったよね。これは通常解釈する場合には「いかにアナンダが熱心な信者であったか」を示すためのエピソード(=実際にそうだったかは怪しいっすね)として捉えるのが穏当だと思うけど、それを実話とした上でアナンダのキャラに還元するわけよ。
S
そういやその前には、ヴァレンティヌスが超辛党だからチョコのお祭りに関係あるはずないじゃん!なんてイエスの突っ込みも出てきたよねw日本人が勝手に始めたとか企業の戦略云々じゃなくてそーきたかみたいなwあと、ブッダとイエスが温泉卓球で対戦したとき、卓球初心者のブッダが「球を地球と思えばいいよー」と言われたのがかえってプレッシャーになり、千手観音モードまで発動したってのもあったよねwなんつーか大いなるものへの意思が卓球の勝ち負けの問題とほとんど同一視されてるのすごいというかw
A
そうそう。あるいは大掃除に絡めた話で、イエスの親父が大掃除を徹底的にやるという流れでノアの洪水の話が出てきたりとかw天使たちもハイテンションなミカエル、ぶっきらぼうなウリエル、ネクラなユダ、突っかかってくるイタいマーラetcetc...って感じで、その発想や行動のあり方がいかなる背景によって生まれ出たのかには言及せず、それらがただその人の個(別)性に基づくもの、つまり「キャラ」として描かれているんだよね。前に取り上げた作品で言えば、「果てしなく青い、この空の下で」なんかが対照的だけど。
S
それってさっき言ってた親近感にも繋がりそうな部分じゃない?
A
そう思う。でもこれ大きな問題も孕んでるんだよねー。
S
え?それって信者が怒るとか不謹慎ってことかい?
A
そんな単純な話じゃねーよ。「キャラ化」ってのは「・・・は―な人だ」というカテゴライズ・レッテル貼りのことなんだけど、それが自明のように横行している環境においては、たとえばある人が苦悩していても、「彼が小さいことをクヨクヨ考えるのはそういう性格だからであって、気楽にいけばいいのにねーw」てな感じで属人的に理解されるわけ。それはもっと大きく言えば、社会問題に対してデモなどを起こしても、要するにそういうヤツ(ら)なんでしょ?と帰属処理をするということでもある。そうすると、なぜ彼らはそのように思考・行動するのかといったことや問題の構造を考えないから、自分にも関わる部分や、あるいは自分もまたそうなりうるといった(将来的な可能性への)視点を持つことができない、ってことでもある。
S
それはあまり深く考えずに梯子外しをしてしまうってこと?でもさあ、運動に関して言えば、自分の実存のためにやってる、あるいは他人と繋がるためだけにやる人間って多くないか?大体お前自体がそんなもん「空気」だノリだとずいぶん批判してるじゃないか。
Aもちろん。それらを全肯定する気は全くないよ。またそれとはちょっと違うけど、偉そうに規範を語る連中の言説が事実無根で、背景にあるのは単なるノスタルジーやルサンチマンであることも珍しくないから、リテラルに反応すればいいというのは大いなる間違い、てこともある。『戦前の少年犯罪』といった本が示すようにね。とはいえ、苦悩やら不満の噴出やらをただ個人のあり方の問題にして無害化するやり方は、自分に火の粉が降りかからないという意味で楽だし自分を優位に保てるかもしれないけど、シニシズムとモナド化しかもたらさないでしょ。
S
シニシズム?モナド化?
A
「どうせ・・・だよね」という処理の仕方と、それが「孤人化」を招くってこと。
S
なんでキャラ化が孤人化を招くわけ?
A
こいつはまさに「ヒトラー最期の十二日間」や「太陽を盗んだ男」、あるいは「共感」の話なんかとも繋がるんだけど、構造を読み解く意思がなければ、処方箋を考えつかないのはもちろんのこと、自分たちにも関係しうるシステム的な問題などを見落としてしまうことになる。そして自分が問題に直面してからようやく、慌てて騒ぎ出すって寸法さ。しかしそれに対して、今度は周りが「キャラ化」で無害化処理をして無関心・・・となる。その先にあるのは、モナド化された人間の悶死だけさ。日本の自殺者数が3万人を一時期超えてて先進国中最悪の部類に入るのも、宗教的な理由だけではないだろ。
S
まあそこには共同体の空洞化や(行き過ぎた)自己責任論とかも関係してるだろうけど。受け皿がなくて全て自分に向かう構造になっているというか。
A
うーん、それは過去の数字をちゃんと見ないとね。昔の数字がどれくらい実際の数を拾えてるのかって問題もあるし。それに旧社会主義国の自殺率の高さを考えれば、急激な構造転換が生み出したアノミーも大きな要因になっているんじゃないかね。まあそれはともかくとして、今話したことは現代日本において宗教が普及しない理由や、連帯が広がらない理由の大きな要因じゃないかと思うね。これもかつての学生運動の失敗やらオウム事件など色々な背景を踏まえたものなんで、「日本は最初からそのような性質を持っている」と超歴史的な物言いをするのは控えるべきだとも思うけど。
S
でもさあ、それじゃ一体みんな何を重要視して生きてるのかね?
A
「矮小化に苛立ちて」という記事でも書いたけどさ、それがたとえば狭い人間関係、あるいはそこに全て落とし込もうとする心性だったりするんじゃないの?「『調和』と『地雷』」で触れた、もはや共通前提がないにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、とにかく場の「空気」を重視して調和を壊さないようにする振る舞いが典型的だよね。しかもそれは、mixiなどを通じてネット空間まで及んでいることが「近頃の若者はなぜダメなのか?」という本に関する対談で取り上げられてておもしろかったけど、要は身近な輪のマネージメントに汲々としているわけだよね。
S
あれは、そういう傾向を若者だけに帰属させなかったところがおもしろかったよね。若年層の振る舞いをノイズを排除したがる社会全体の最新の傾向への適応であるとか、モバイル機器などによる関係性の構造転換などと絡めて話してて興味深かった。
A
で、そういう視点で見ると、たとえば「聖☆おにいさん」ってまさに日常性への拘泥であるとともに、本来深刻な対立点になりうる所もスルーされて深刻なコンフリクトって生じないじゃん。これは実に今日的状況とマッチしてるように思うね。あるいは、今日的状況が生み出した作品というか。
S
なるほどねえ。つーか結局、この作品に対するお前の評価って否定的なものなわけ?
A
ああ、それもまたさっき言った属人的理解の好例みたいな質問というか視点だね。要は論理的・構造的な問題点の指摘を、「嫌いだからそうする」という風に処理してしまう、と。ちなみに俺は「聖☆おにいさん」は結構好きだよ。ただ、俺が今話しているのは、端的に言えば「その描き方が日本、あるいは日本的想像力の可能性と限界を同時に表してるんじゃないか」ってことさ。
S
一見平和に見えるその状況にこそ潜む病理・・・というかこれ「毬也に首ったけ」でも同じような話をした気がするな・・・
A
まあ融和/宥和も程度が過ぎればノイズ排除になるってことで、またそういう自家中毒的な危険性に鈍感なのも大きな問題の一つだよね。ところで、いい加減長くなったんでそろそろお開きにしたいんだけど。
S
そうだね。じゃあ次は、モナド化に関連して「まどか☆マギガ」を扱うことにしようか。
A
その前にお風呂行かね?
S
ウォーケーイ。ただし体力を消耗するタイプのやつは勘弁な(´・ω・`)
A
Um allein zu leben, muss man ein Thier oder ein Gott sein-sagt Aristoteles. Fehlt der dritte Fall: man muss Beides sein-Phillosoph.
S
大丈夫すかー?頭に梅の花咲いてませんかー?
A
sis puella magica!
S
ダメだこりゃ・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます