優しき大量殺戮者たち

2017-11-19 12:14:03 | 生活

「日本人は自然を愛する国民だ」とか「動物といった人間以外のものに対する同情が深い」というような言説を耳にすることがある。なるほど何でもすぐにキャラクター化する行動・思考からはそのような特徴を感じられなくもないが、それ即ち「善」であるかと言えば全く違った話である。

 

たとえばペットの殺処分がそうである。多くの人たちがペットを購入し、結果買えなくなって多くの動物が捨てられていく。買い始めた頃の彼らに、あるいは捨てる段階の彼らにさえ、明確な「悪意」はないかもしれない。しかし、動物という名の他者が可愛いというだけでなく実に様々な面倒ごとも伴う存在であることを実感した時、「困った」という感情とともに遺棄されるのであろう(笑い事じゃなく、これは子供にも言えることだ)。

 

そのように感情の動きを推測することが可能なだけに、ただ論難するだけで事態は全く改善しないとも私は感じる。それは(日本国民の多くが大好きな)自己責任の問題にするのではなく、むしろ里親制度の充実および周知徹底であったり、飼い方の工夫についての情報提供といった形で遺棄に到る蓋然性を少しでも減らすしかない。本当に「自然を愛する」・「人間以外の存在を愛する」のであれば、それこそが取るべき道だろう。少なくとも今は、「悪意」なき大量殺戮が横行し、そのことに無知な人間たちが我々は他者に優しいなどとのたまう、まことにグロテスクな社会であると言わざるをえない(それはchildishではあるかもしれないが、少なくともgentleとかconsiderateとは口が裂けても言えないだろう)。

 

ということを述べながら、今回の案件はもしかすると日本の植民地支配とかにも同じことが言えるのかもしれない、などと書きつつ稿を終えることにしたい。


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