少子化がヤベーヤベー言ってはいるものの、地球全体で見ると80億を突破と人口は増え続けている。
よって、何かと消費量の多い先進国では、人口が減らないと地球が将来的に困る可能性が高いというのも事実(もちろん、18世紀末にマルサスが言ってたようなことが20世紀のハーバー・ボッシュ法などによって解消されたように、何らかのイノベーションで状況が変わる可能性はあるけど)。
(移民のような形を除けば)成熟社会化で人口増が難しいのは言うまでもないが、実際のところ増えてしまった人口を意図的に減らすことの方が(独裁的な国家が非人道的方法を用いない限り)もっと難しかったりする。
そのことを踏まえると、現在なまじっか人口維持に成功している国が将来的に苦慮し、急速に人口減少した国の方がその困難に直面しなくて済むという逆転現象は十分ありうる。
つまり、そういった長期的視野に立ち、人口減少した分を他でカバーしうるシステム造りを先んじて行っておくことが、できもしない出生率の維持より重要、ということになる。
というわけで、特に今の東アジアで急速な少子化と高齢化が進んでいることを最近取り上げてはいるが、この状況を奇貨として将来のメリットに転嫁するのが得策なのだが、あまりこの話をしないのは、「だから今問題があってもヘーキヘーキ(・∀・)」とばかりに思考停止する輩の方が圧倒的に多いと予測するからだ(その意味で言うと、「終わり」とか「滅びる」とかいうのも思考停止に便利な言葉である。なぜならその先は考える必要がないからだ)。
例えば労働力の減少をDX化などで対処するにしても、「体力のない中小企業の割合が多い日本の中において、そういうシフトチェンジがどれだけ現実的に可能か」てとこまで考えないと(賃金すら上げられん企業が大半で、DX化するより人手不足で潰れる方が先じゃね?)、ただの現実逃避になるか、良くて「頭の良い人が解決策は考えているが、実際に動く人の多くはそうではないし、また現実には阻害要因が大量にあるので実現不可能」という状況で終わるわけである(これが「『働く人が少ない?じゃあ老人を死ぬまで働かせればいいじゃない!』という社会」で書いたことだ。かつ、小熊英二『日本社会のしくみ:雇用・教育・福祉の歴史社会学』ではないが、その構造を変えようとしても、マトリョーシカのように入り組んだシステムにメスを入れること困難であって、変化には長い時間を必要とする。そしてその状況を知れば知るほど、「じゃあ俺は仕組みを知って上手く出し抜くわ」という「ファスト教養」に絡めて述べたメンタリティが醸成されるのは極めて必然的だとも思うのである)。
そもそも、構造変革をできずに「失われた30年」を経験し、今もなお旧態依然とした仕組みが残存し続けている社会において、その状況が(少なくとも短期で)劇的に改善すると考えるのはまさしくお花畑の最たるものだよなあ(・∀・)
まあそんなわけで、あと半世紀はガンの末期症状のような苦しみを受け続けることになるやろうって話だが、そのような失敗例は少なくとも他国にとってはいいサンプリングにはなるだろうから、少なくともその価値くらいはあるわなあと述べつつ、この稿を終えることとしたい。
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