さて、昨日からプレイしているうみねこ第二話が終了したので、忘れないうちに覚書を残しておこうと思う。ただし、俺は今まで一度も公式HPの推理掲示板を読んでいないので、どういった論が支配的で、どういった謎は(ほぼ)看破されたのかを知らないし、第一話の内容を細かく見返してもいない(昔なら入れ替え説とかを前提に話をできたが、今の俺にはそれが不可能)。もしこれを読まれる人が真剣に謎の解明を欲する人であるなら、おそらくこの記事は参考程度にしかならないことをあらかじめ断っておく。
※以下、第二話完全にネタバレ。また、使用人と金蔵以外の人物名はカタカナとし、ベアトリーチェは「ベア様」(笑)で統一する。
[結論]
ひぐらしをプレイしたためか、うみねこは個々の事件の手口という(魔女にとっては)戦術的な部分より、もっと根本的な戦略の部分(ひぐらしで言えば「ルール」など)が気になっている。例えば下の覚書で何度か出てくる仲違いさせる狙い(のようなもの)もそれだ。これはベア様の使い魔が(ひぐらしのあれらと同じく)「何でもアリ」(=全能)では無いことも関連しているのだろうが(=大勢でいると殺せないため分裂させる?)、それにしても手紙などに始まるあまりに執拗な仕掛けは、魔女の有利さを思うとむしろ不可思議である。これが「????」でラムダ言うところの「やりすぎ」の一つなのかは不明だが、明確な狙いに基づいているとすれば、バトラたちに碑文の謎を考えさせないため、というのが最もありえそうだ。というのも、作中人物たちは人間の仕業か魔女の仕業かと考えているうちに、特定の人物が犯人だと思って疑心暗鬼になり、そして疑うのに疲れ、肝心の碑文の謎はほとんど考えられないまま終わっているからだ。
思うに、バトラがベア様とやっているように魔法があるとか無いとか言うのは彼女のミスリードであって、まずは魔女の存在とその手紙を認め、碑文の謎を考えたりジョージたちのやったように鏡を探して魔女から身を守ることが大事なのではないか?もっと簡単に言えば、人為かオカルトかも含めて手口の推理をするのではなく、惨劇の回避方法を模索する方が先決だと思う(一話で夏紀がお守りによって生贄から免れたことも想起したい)。これは魔女に全面降伏する、という意味ではない。うみねこにおいては「そもそも何を推理するのか」が(おそらく意図的に)漠然としているが、曖昧にしたまま突っ走っても多分俺が批判的に書いてきた「人為100%」の人たちと同じ末路を辿る。魔女を認め、そこから碑文の謎に挑みつつ、彼女のほころびを探す方がよほど建設的だと思われる。わかりにくいのであればこう言おう。
ひぐらしはオカルトが混入していたが、それが事件の全てだったわけではない。うみねこは混入の度合がかなり進んでいるようだが、それでも全てではないし、またそのオカルトは「何でもアリ」ではなく、ある程度のルールはあるらしい。オカルトと人為どっちが100かと考えるのではなく、そのルールなどの考察から惨劇回避の方法を模索するのが最善だ、と。
※2
一応症候群とのアナロジーも想定してはいたものの、あそこまであからさまな使い魔の演出をやられると難しそうだ。それでもまだ殺人現場だけの描写ならその可能性が残ってたけど、いかんせんクモにやられるシーンとかを蝶による幻覚と見るのは厳しい。まあ蝶とクモっていかにも蝶にとっては相性が悪そうってのはあるが…
[以下覚書]
<第一話に関する覚書> ※プレイする前にTIPSを見直して思いついたもの
○銃の弾は4+1=5=丁度最後に残った人数
○七つの大罪など…魔術はひぐらしの薬物と同じくミスリードか
<第二話に関する覚書>
○魔女の手紙は殺し合わせるためのもの?…第二話での紗音の誘導を想起
○最初の2つのエピソードの意味は?事件より物語として重要?やはり神社の話が出たか…
○顔を潰さず腹を割く⇒顔を潰す行為に特別な意味はない
○一話との第一犠牲者のカブリはクラウス、ルドルフ、キリエ
(シャノンはジョージと殺す。ローザは鍵を開けさせるため残した?)
○魔女への敵意が煽られるだけにそれが本質ではないと思えてくる。
…ひぐらしお疲れ様会の祟り派VS人為派の構図も想起
○魔方陣の順番は決まっているようだ
○メタフィクションの意味=舞台という意識の明示
ループは?…金蔵だけが「前回」と言っている。
○鍵の崩壊(一回目にもいけるか?)
問題は、「なぜそのようなことをする必要があったのか」に帰する。つまり魔女は「何でもアリ」ではない。
○「殺した嘉音の鍵を使う」でジェシカの部屋は解決
⇒その後嘉音が持ってなかったとわかり、あっさりと崩壊orz
○なぜわざわざ仲違いをさせるのか?
正攻法で殺せるはずなのに…
○なぜ南条たちの死体を隠す必要があるのか?⇒仲違いを狙う?
これは一話の金蔵についても言える。
○疑心暗鬼のためってのもあるだろうが、南条と熊沢をわざわざズラして発見させたのは気になる。⇒彼らをジョージたちの後に位置づける必要はどこにあるのか?
[以上]
※以下、第二話完全にネタバレ。また、使用人と金蔵以外の人物名はカタカナとし、ベアトリーチェは「ベア様」(笑)で統一する。
[結論]
ひぐらしをプレイしたためか、うみねこは個々の事件の手口という(魔女にとっては)戦術的な部分より、もっと根本的な戦略の部分(ひぐらしで言えば「ルール」など)が気になっている。例えば下の覚書で何度か出てくる仲違いさせる狙い(のようなもの)もそれだ。これはベア様の使い魔が(ひぐらしのあれらと同じく)「何でもアリ」(=全能)では無いことも関連しているのだろうが(=大勢でいると殺せないため分裂させる?)、それにしても手紙などに始まるあまりに執拗な仕掛けは、魔女の有利さを思うとむしろ不可思議である。これが「????」でラムダ言うところの「やりすぎ」の一つなのかは不明だが、明確な狙いに基づいているとすれば、バトラたちに碑文の謎を考えさせないため、というのが最もありえそうだ。というのも、作中人物たちは人間の仕業か魔女の仕業かと考えているうちに、特定の人物が犯人だと思って疑心暗鬼になり、そして疑うのに疲れ、肝心の碑文の謎はほとんど考えられないまま終わっているからだ。
思うに、バトラがベア様とやっているように魔法があるとか無いとか言うのは彼女のミスリードであって、まずは魔女の存在とその手紙を認め、碑文の謎を考えたりジョージたちのやったように鏡を探して魔女から身を守ることが大事なのではないか?もっと簡単に言えば、人為かオカルトかも含めて手口の推理をするのではなく、惨劇の回避方法を模索する方が先決だと思う(一話で夏紀がお守りによって生贄から免れたことも想起したい)。これは魔女に全面降伏する、という意味ではない。うみねこにおいては「そもそも何を推理するのか」が(おそらく意図的に)漠然としているが、曖昧にしたまま突っ走っても多分俺が批判的に書いてきた「人為100%」の人たちと同じ末路を辿る。魔女を認め、そこから碑文の謎に挑みつつ、彼女のほころびを探す方がよほど建設的だと思われる。わかりにくいのであればこう言おう。
ひぐらしはオカルトが混入していたが、それが事件の全てだったわけではない。うみねこは混入の度合がかなり進んでいるようだが、それでも全てではないし、またそのオカルトは「何でもアリ」ではなく、ある程度のルールはあるらしい。オカルトと人為どっちが100かと考えるのではなく、そのルールなどの考察から惨劇回避の方法を模索するのが最善だ、と。
※2
一応症候群とのアナロジーも想定してはいたものの、あそこまであからさまな使い魔の演出をやられると難しそうだ。それでもまだ殺人現場だけの描写ならその可能性が残ってたけど、いかんせんクモにやられるシーンとかを蝶による幻覚と見るのは厳しい。まあ蝶とクモっていかにも蝶にとっては相性が悪そうってのはあるが…
[以下覚書]
<第一話に関する覚書> ※プレイする前にTIPSを見直して思いついたもの
○銃の弾は4+1=5=丁度最後に残った人数
○七つの大罪など…魔術はひぐらしの薬物と同じくミスリードか
<第二話に関する覚書>
○魔女の手紙は殺し合わせるためのもの?…第二話での紗音の誘導を想起
○最初の2つのエピソードの意味は?事件より物語として重要?やはり神社の話が出たか…
○顔を潰さず腹を割く⇒顔を潰す行為に特別な意味はない
○一話との第一犠牲者のカブリはクラウス、ルドルフ、キリエ
(シャノンはジョージと殺す。ローザは鍵を開けさせるため残した?)
○魔女への敵意が煽られるだけにそれが本質ではないと思えてくる。
…ひぐらしお疲れ様会の祟り派VS人為派の構図も想起
○魔方陣の順番は決まっているようだ
○メタフィクションの意味=舞台という意識の明示
ループは?…金蔵だけが「前回」と言っている。
○鍵の崩壊(一回目にもいけるか?)
問題は、「なぜそのようなことをする必要があったのか」に帰する。つまり魔女は「何でもアリ」ではない。
○「殺した嘉音の鍵を使う」でジェシカの部屋は解決
⇒その後嘉音が持ってなかったとわかり、あっさりと崩壊orz
○なぜわざわざ仲違いをさせるのか?
正攻法で殺せるはずなのに…
○なぜ南条たちの死体を隠す必要があるのか?⇒仲違いを狙う?
これは一話の金蔵についても言える。
○疑心暗鬼のためってのもあるだろうが、南条と熊沢をわざわざズラして発見させたのは気になる。⇒彼らをジョージたちの後に位置づける必要はどこにあるのか?
[以上]
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