うみねこ第二話に演出・テーマに関して

2008-01-02 21:27:06 | ゲームよろず
ではまず感想から。

○萌え要素(?)
前回は遊びが少なかったので、今回はさすがに入れたらしい(マリサsong)。まあ遊びがあろうと無かろうと、雰囲気に合ってれば別にいいけど。


○大人同士のやり取りは前回より少なめ
大人同士の虚虚実実のやり取りが個人的にはもっと見たかったかな。まあひぐらしと同じで子供(この場合「若者」と言うべきだが)の側を中心に描きたいのだろう。少ないながらも大人のやり取りは見るべきものがあり、特にキリエの頭の回転の速さには思わずうなった。これほどだと、魔女が二回とも最初に彼女を消したのはいかにも当然だと思えてくる(謎を一番解きそうな人)。


○スタッフロール長すぎ…
もっと字を小さくして早く終わらせた方がいいのでは?歌自体は雰囲気に合っていて非常によい。


○ローザの拷問
時計仕掛けのオレンジを連想。


○黒山羊
夢に出そうwまあもっとも、今からプレイする学怖の「ミッドナイトコレクション」の画像で全て吹っ飛ぶかもしれんがな!


○「幻想」、「疑い」、「信頼」というテーマが突き詰められている。
人は人を裁けるのか?というテーマや(集団)幻想疑心暗鬼などはひぐらしの頃から繰り返されてきたテーマであるが、今回はメタフィクションも導入して推理と疑いを連動させプレイヤーに迫る演出を行っている(それをどう評価するかは人によるだろうが)。その中で特にうまいと思ったのは、論理的に考えれば考えるほど見当違いな方向に行ってしまう人たちの姿の描き方である(その最たるものはバトラに銃を向けた時のローザ)。目の前の状況をとりあえず自分に納得させるために作り上げた答えであっても、それが論理的結論だと認識すれば容易に思考は停止する。実のところ、それは単なるこじ付け・正当化に過ぎないのだが、「論理的=正しい」という思考の呪縛からなかなか逃れられないのだ。

魔女は、この人間の性質をうまく利用していると言えるだろう。とはいえ、ああも執拗に不和を煽るのは魔女の力を考えたときいかにも不自然である。前に一度考えはしたが、再びこの問題については書きたいと思う。

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