どこぞの宮殿にでも迷い込んだかと思わせた後は、荒野と点在する石碑が私を出迎えた。
このような情景は日常的に馴染みがない(現代では強いて言うと工事現場?)という意味で、やはり異世界感を存分に漂わせている。否、それは正確な言い方ではないだろう。というのも・・・
美しい紅葉と剥き出しの地肌の共存がそこにはあるため、ここが此岸と彼岸の境界線となっているような印象を受けるからだ。それは、いわゆる天気雨が「狐の嫁入り」と結びつけられ、昼と夜の境界線=夕暮れ時が「逢魔が時」・「大禍時」と呼ばれる感覚と似ているように思えるが、だとしたらここが霊場(そして死者と見えることのできる場所)と見習わされてきたのもむべなるかな、というものだろう。
そしてかような印象を元に湖の方を見やるならば、
まさに彼岸が現前しているかの如く感ぜられるのも奇妙なこととは思われない。私はかつて夜の等々力渓谷で光源の乏しい中で濁流の音を聞き、「山中異界」の心持ち(まあ山じゃないけどねw)を体感したものだが、 むしろここでは視覚的特徴が非日常感と異世界感を訪れる者たちの印象に刻み込まれざるをえないのだろう。
そんな感慨にふけりつつも、「まあでもそうだとすると、人工的に操作可能ってことであり、ある程度そういう認識の特徴がパターン化できたら、VRとかで再現できもするってことだな」などと散文的な発想をしながら歩みを進めた。
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