松本人志が裁判に勝とうが、もう潮目は変わらない

2024-01-25 11:38:25 | 感想など
 
 
 
 
 
 
 
 
ワイドショーにおける松本人志(や松本軍団)の扱い方って、まさに「おまゆう」案件そのもので爆笑するしかない。これまで散々、確定もしてない事柄について、あることないこと好き勝手に君たちはお喋りしてきたのに、「身内」の話になった途端に
 
 
 
 
 
 
だったり(まあ山下某第四のスカルノなんかを見ればそりゃあねって話かw)、あるいは途端に「道徳」を持ち出して擁護をしだすんだから、公共の電波であることを横に置けば、その右往左往っぷりが一番「お笑い」であり「ワイドショー」と言ってよいんじゃないの?て思うわ(・∀・)いやはや、その行為がテレビ不信という形でさらに自分たちの首を絞めてることには気づかない部分まで含め、ケイジ先生も真っ青な現代アートですなw
 
 
なお、大手マスメディアという広い括りで言えば、きちんと俯瞰して見ている人たちや健全な批判精神を持ち合わせている人もいる、という反論は当然あるだろうし、それを否定するつもりは全くない。ただ、冒頭の動画でも触れた某社長の発言のように、影響力の大きいトップが腐っていてそれが目立つものであるため、完全に台無しにしている。またそれなりの批判の声があっても、企業全体としては横並びの忖度マシーンだらけな結果、自局・他局いずれに対しても大々的な批判的検証はできない(これはジャニーズ問題とその自己批判の遅さを指摘すれば十分だろう)。結果として、外から見ると「無いのと同じ事」になるというわけだ。
 
 
こういうわけで、大手マスメディアの不信は加速こそすれ、止まる要素がない。松本人志(松本軍団)の報道はそこに拍車をかけているわけだが、これに加えて使えなくなるタレントの増加や、さらなるスポンサー依存が進むことで、まさに負のスパイラルでどんどん劣化が進んでいくことだろう(収入が少なくなれば、単純にやれることも少なくなるし、やっても質が下がるわけでね)。ま、官僚主義化した連中に自浄作用なんてないんで、外圧で変わることしかできねえって話ですな(・∀・)あ、変わるっつーか少なくなったリソースで誤魔化すだけが関の山なんで、解体的出直ししかねーかwww
 
 
というわけで、「大手マスメディアの死亡診断書」と言うには早いが、もう坂を転がり落ちるしか選択肢がないことは前からわかっているのであり、あとはそのチキンレースと、どれだけ惨たらしく爆散するのかという状況と言える。
 
 
さて、こういう状況なので、松本VS文春の裁判の争点が「性行為における合意の有無」なら、よしんばそれに勝ったとしても、一体何が戻るのか?という話である。
 
 
少なくとも、芸事の世界は治外法権であるかのような発想は、もはや通用しないだろう(正確に言えば、そのような発想を受け入れない人の数が多くなってきたし、それを無視できないほどにはその力が落ちてきている)。今後どの程度のスピードでその世界のセクハラやパワハラが大々的に告発されていくのかはまだまだ不透明な部分はあるが、少なくともそれが出てきた時のリスク・影響の大きさを考慮すると、これまでのような「火遊び」は全く割に合わないという話になってくるのではないか(力が落ちる&告発が進む→さらなる勢力減退&告発の進展というサイクルがしばらく続くんじゃあないか)。
 
 
勘違いしないでほしいが、これはその世界の人々のモラルを信用するということではない。たとえ法律的にアウトでなくても、それによる世間イメージへの悪影響を懸念した企業=スポンサーが離れれば、結局仕事・収入・生活に跳ね返ってくることぐらいは容易に共有されるはずなので、その辺が緩い連中は自然とパージされていかざるをえないし、それなりのオツムを持っていれば、生存戦略的にそこで問題が起きないような遊び方に止めざるをえなくなる、という話である。
 
 
 
 
 
 
 
 
なお、こういった傾向はもちろん芸能の世界に止まらないであろう。こちらも様々問題を抱えているというメディア業界でのセクハラやパワハラ、さらに研究室におけるアカハラの告発のさらなる広がりにもつながっていくと思われる(ちなみにアカハラとその対応云々は前に書く予定と言っていた宮台真司関連の記事でまた触れることになるだろう)。
 
 
・・・というわけで、松本人志(や松本軍団)の件については、文春が信用できるか否かとか、松本側を信用する・応援するか否かみたいな二項対立の話で止まっているコメント・動画ばかりなように見えたので、大きな構造転換とそれがおそらく不可逆であることに触れてみた。
 
 
なお、これまでの記事で何度も強調している通り、「文春=真実」でもなければ、「文春=正義」でもない(なお、裁判の行方という観点では、元文春編集長木俣正剛の記事なども一つの参照軸にはなるだろう)。ただ、「なぜそんなアホな勘違いが起こるのか」という点について、大手マスメディアや既得権益への不信といった疫学的分析までやんないと、これから類似の現象が起こる度にドタバタ劇で振り回されることになる。
 
 
また、今回の松本案件でさらに大手マスメディアは信頼を自ら壊し続けているので、事態が今後より深刻になることはあれ、逆の可能性は低いことも共有しておいた方がよいだろう(文春への信頼がこの後毀損していったところで、振る舞いを変えられない大手マスメディアに人が戻ることはなく、新たに幻想を抱けるメディアを各々探し求めるだけになると予測される)。それを踏まえた上で、松本を個人的に応援したい向きは、個人で勝手にやればよろしいというのは、長谷川良品の意見に全く賛成である(ただし公共の電波を私的流用するのはやめてもろて)。
 
 
ちなみに俺自身はというと、松本人志という芸人が存在してもしなくてもどちらでもよい(復帰したら復帰したで、それは大手マスメディアが構造転換を読み違えて対応に失敗したこととほぼ同義なので、その衰退を加速させるだけだろう)。また吉本興業が存在してもしなくてもどちらでもよい。なぜなら、(前回のVtuberに関する記事でも似たような話を書いたが)代わりは他にいくらでもあるからだ。というか、日本の芸能界が丸々消失しても何も困らない。そもそもが「虚業」なので、人気がなくなれば他の仕事をやっていただくだけのことだからだ。
 
 
というか、そのぐらいの覚悟をもって生業に当たらないと、この可処分時間の奪い合いの時代に生き残れないのは少し考えればわかる話であって、そんなことすら理解できずに胡坐をかいている人々や業界は、俺の話に関係なく淘汰されていくのが関の山、というのがより正確な表現だろう。
 
 
 
というわけで以上。

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