さて久しぶりのフラグメントですよと。前のフラグメントでも少し触れたが、ひぐらしのとらえ方や評価の仕方は世代間ディスコミュニケーションの縮図として非常に興味深いだけでなく、それをお手軽に(笑)追体験できる点で貴重である。そういう認識ゆえに「とあるプレイヤーの証言」という変則的なスタイルで自分のひぐらしとの関わり方を説明した上で「人為派」と「祟り派」の問題に言及したこともあるが、この点については話せば長くなるので次回に譲りたい。
てゆうか覚書がハイコンテクストすぎるものばかりなので説明しとくと、ここで批判の対象にしているのはひぐらしそのものというよりもむしろ、「人為100%で推理してたんで冷めた」というプレイヤーと「ひぐらしは最初から推理ゲームじゃないんだからごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」という輩である。前者については、「気持ちはわかるが頭冷やしてもう一度考えてみようぜ」ってことで「セブンスマートにて。」の話をしており、後者については単なる思考停止か恥知らずだねと言っております。本編ちゃんと見れば出題編において推理で煽ってるのは明らかなわけで、それをわからず言ってるのなら皆殺し編の内容にあてられて頭がパープリンになっちゃったんだろうし、わかって言ってるのならあんだけの煽り文句も書いてるのに恥知らずっつーことです。まあもっとも、祟殺し編と戦闘力の問題とか全体的なテーマとかそれを的確に表現する方法とかを意識してる人ってほとんどいないっぽいので、前者が大半なのかもね。まあこれに絡む「信仰告白」の話は次回やりますよと。
<オカルト、デカルト、アラカルト> →「皆殺し編レビュー批判」
実際には、オカルトばりばりとか人為だけどそれ実質「何でもあり」だろと皆殺し編を批判する人間のほうがまだマシ。罪滅ぼし編を前提にしたとしても、ね。むしろ後付け的に「推理モノ」ではなかったとほざく輩にこそ、私は怒りを覚える。ひぐらしに引き付けて言えば、まるで戦争が終った途端に反戦派になった人たちのようだ。
<推理を志向していなかったか>
万一ひぐらしの作者が「推理」を意図してなかったとか寝言をほざくなら斬って捨てる。お疲れ様会で煽り、掲示板を作り、ジャケには煽り文句。それで人気を出した。恥を知れ。ホロウで作者が見せた賢明さ、あるいは誠実さを見習え。二次創作の恣意性・批判。バゼットが死なない→最後は肯定?フェイトは二次創作的。批判は自己矛盾するがゆえに。月姫での信頼が前提。結果からの逆算…歴史への眼差し、君望の批判。まあ実際にはそのような背景を理解できないバカがひぐらし本家の首を絞める行為だとも気付かず賢しらに言ってるだけでしょ。
<人為100批判>
それも複雑な背景。「何でもあり」にならないよう考えようとすれば、人為派になるしかない。そういう思想的困難さを共有し、その方向で推理を構築した。→なぜそれが批判に?→始めからいくつか違和感があった。薬物が実在するはずだという前提で議論に耽溺するのは、理解できるがおかしい。宗教の話で所詮は作者の知識の問題と議論を打ち切る。人為100という土台への疑い(お疲れミスリード)。で、「予言」や「セブンスマート」が完成。何とか人為で解釈しようとして無理な説明→仮定が前提に。何で人為100じゃないんだという批判は成立しないという意味での「論理的証明」。
<人材、送付先、謝罪、未修確認>
皆殺し編に怒る背景→あの困難さにもかかわらず、ルールがわかればよくて、真相は人為だけど何でもありってか?ふざけんな!→でもグループは必然じゃん?富田家や大石・熊谷の件→バラバラな意図で動き事件を起こしていると推測→連続怪死については正しかったわけだ→結果的には、ね
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