フラグメント228:日本人はいかにして多数が無宗教と自認するようになったか

2020-04-11 15:11:00 | フラグメント
こいつは今書いてる「間違いだらけの日本無宗教論」の祖型みたいなんもんです(だから対話のような書き方になっている)。長いんで、まあ家から出れなくて暇だわーって方がダラダラ見ていただければ。


本来はちゃんと整理したものをアップしてから補足的に出すつもりだったが、こういうご時世でもあるため出せる時に出しとこうって考えましたよと。


一番言いたいことは、「自分の周りだけ見て出した結論は、どれだけそれっぽいことを言ってるように見えても大したこたあねーよ」って話ですわ。これは移動が少ないアメリカの中西部の人たちが「アメリカは特別な国なんやー!」なんて無邪気にのたまってるのが好例なんで、こーゆーのを他山の石にして飲み屋の放言レベルのことを軽々に言わないようにしたいもんですね。



〈間違いだらけの〉 2018/11/12
いつも言うんだが、古代ローマは多神教だし、イスラム開始前のアラビア半島も同じだ。にもかかわらず、両地域とも一神教が広がった(すんなり受け入れられたわけではなく、様々な弾圧があったことにも注意を喚起したい)。これを踏まえると、多神教の地域と一神教の地域というのは、つまるところ「そうなったか、ならなかったかの違い」だけで、多分に偶然性を含むものであり、それを風土や文化などで正当化しようとするのは、どうも民族主義や国民国家の幻想の創出にも似た、「結果からの逆算」じゃねーかと疑いの目を向けるしかないよな。


たとえばセム的一神教が広まっていない(いなかった)地域でも、多神教のインドではゴアの占領などに加えイエズス会が布教活動をし、イギリス植民地化の中でさらにキリスト教布教が促進されたが、最終的にキリスト教は広がらなかったやん(そこには、ヒンドゥー教がカーストなどの形で社会システムと深く結びついていることと無関係ではないだろう)。


しかし、多神教(少なくとも一神教とは言えない)の日本では、神祇不拝=一神教的要素を持つ浄土真宗は仏教の中で最も広まったし、戦国~江戸時代初期まではキリスト教も広まってただろ。また、明治以降にとられた一神教的近代天皇制をどう評価するのか、という突っ込みもできる(まあこいつは同心円状の帰属意識の頂点に天皇がいるって感じなんだろうけどね)。ちなみに、隣国の韓国ではキリスト教徒の数が多いのは有名な話。一神教的シャーマニズムが背景にある?政府の弾圧はもちろん、民間でも東学頭の乱といったキリスト教への反発があった。日本にもキリスト教が広まっていた時期があったことも踏まえると、一神教的土台があったから、韓国にはキリスト教が広まったのだというのもかなり眉につばをつけたくなってくる説明だ(ちなみに釜山を含む慶尚道に仏教が多い背景は何なんだろう?)。


韓国の旅行記事→寺の写真。韓国もばっちり「習合」じゃん。シンクレティズムって全然日本限定じゃないやろ。何だったらタイにも上座部仏教とサイヤサート信仰(何ならドラえもんさえw)ってのがあるしね。日本の宗教、あるいは無宗教の考察を偏狭にしてるのは、こういうのを見えなくする「日本限定」というフィルター、そして近代(正確には脱亜入欧)フィルターだと改めて思った。似てる要素も異なる要素も多々ある隣の国見ずに、何で欧米の話ばっかしてんのかね?こういうところにも、民族主義の幻想が垣間見えるわいや。


キリスト教宗派対立の例、ナイチンゲール1853。凄惨な現場でもカトリックとプロテスタントで対立が生じていた(というか、戦場にやってきた看護師たちの中には、兵士の精神や肉体が弱ってるのにつけ込んで、無理やり改宗させようとする等、なかなかにクレイジーなことをやっていた)。ウェストファリア条約から200年経った19世紀半ばですらこの体たらく。でもさあ、1828年の審査法廃止や1829年のカトリック教徒解放法からはせいぜい25年だぜ。まあ明治期にキリスト教諸宗派の活動や関係性がどうだったかを考える材料にはなるやろ。


キリスト教が日本に大きく広がった戦国時代は、現地の慣習に比較的柔軟に対応する(ことによって現地住民に入り込んでいく)イエズス会の宣教師が一枚岩で活動していた。しかし、キリスト教が再度伝来しても限定的にしか改宗者が出なかった明治期以降は、かなり宗派が分裂した状態で活動しており、ターゲット層も違っていた(プロテスタントは士族階級が多く、カトリックは福祉政策の関係もあって貧困層とか福祉施設での改宗が比較的多く見られた等)。


戦国時代には統一的な政治勢力が存在せず、パトロンを見つけての布教が比較的容易だったのに対し、強力な統一権力がある上に明確な宗教政策を打ち出していた明治期では、江戸時代に醸成された邪教観(→農村に強く作用)もあって、かなりキリスト教側の活動が限定的にならざるをえなかったが、明治期以降にキリスト教が広まらなかった背景として、こういう諸々の制約を踏まえておく必要はあるだろう(かと言って、本当は広まったはずなのに政府に散々邪魔された、みたいなのは違うと思うけれども。ちなみにこういうキリスト教布教の負の側面は、それがリヴィングストンとアフリカの事例のごとく、植民地拡大とパラレルであるという視点でしばしば語られてきた)。


アメリカ的物質が日本人の無宗教の原因なんじゃー。じゃあ何でアメリカはそうなってないん?ベラーの言う「市民宗教」の性質。世俗社会の宗教。街区が教会を単位に構成。じゃあ日本は?いや神社も寺も村落の中心ではないだろう。残念でした。江戸時代は寺を軸に構成されてるで。実際宗門改悵って戸籍と同じ機能果してたし、死んだら葬式を執行し墓を用意する。つまり生と死を管理する場所なわけで、役所と同じ機能を果しとったんや。


でも今はそんなことないやん。そらそーや。まず神仏分離や廃仏毀釈でかなり統廃合が進んだ。次に仏教が特権的ポジションじゃなくなった。そしてその役割を小学校が引き継いだ。こうして人為的に産み出された江戸時代の機能は、明治時代に人為的に梯子を外され、で日本とアメリカではコミュニティの成立に差異が生まれた、と。


そもそもの背景は日本人の信仰がいい加減だったから?それは大いに疑問だな。ならばなぜ、一向一揆はあれだけ巨大になって頑強な抵抗を示したのかね?あるいはなぜ島原の乱は?むしろこう見るのが適切ではないかな?すなわち、最初は鎮護国家=強い国家的統制と癒着関係から始まった。大学。南都六宗。そこに現れた宗教的天才が最澄。教義をゆるやかに解釈したことで一般の民衆に広がった。


鎌倉時代には浄土宗、真宗、曹洞宗、臨済宗が産み出され、地域性や階層に多少の違いはあれど民衆に広がっていったことを俺たちは知っている。そのうちの実に三つが比叡山に出自を持つ。最澄の影響力の大きさが理解される。戒律緩い、救われやすい、からの念仏でオールOKってどうなん?まあ確かにわかる。俺は仏教徒じゃあないが、上座部に近い発想をするしね(縁なき衆生は度し難し)。


どゆこと?お前が救われるかどうかなんて知らんがな。救われたきゃテメーで悟るしかねーわ。でもあんた「人間の必謬性」っていつも言うとるやん。そう、だから「みんな救われる」とか欺瞞も甚だしいと思うね。じゃあ何で最澄とか浄土宗系を評価するん?


アホか。それがどういう展開をしたかっていう実態の話と、個人的な好き嫌いは別問題じゃ。あと、ここでキリスト教の出自についてもあれこれ思うところがあるんよ。何で?ユダヤ教において、戒律を厳守すべしとすると、生活上の理由などで守れない人が少なからず出てくる。じゃあそれって、「金持ちしか救われない」ってことと同義じゃん。それを批判するところからイエス=キリストの宗教改革(始めから別宗教を立ち上げようとしてたわけじゃないのでこう呼ぶが)は始まったわけよ。


それが浄土宗と何の関係が?貴族は寄進で罪が贖える(例:平等院鳳凰堂的なもの。ヨーロッパでは修道院などへの土地寄進を想起)、武士は座禅を組んで修行すればいい(修道院に入るのと類似か?)。じゃあ農民、特に貧農はどうする?そんな金も時間もないんじゃないの?ならば農民は救われないのか?


そう考えた時に、専従念仏の意味がようやく見えてくる。というのそれは、農作業をやりながらでも金をかけずに誰でもできるやないか。だから、浄土宗系が農民に広がる(これは中国の白蓮教とかも同じやな)のは当たり前の話だろうよ。これを「堕落」と言うならキリスト教はユダヤ教の「堕落」版てことになるし、商工業者がカルヴァン派に改宗したのは、金儲けを否定するカトリックより、天職への従事と蓄財を肯定したカルヴァン派に変えた、つまり自分の都合の良い方に逃げた「堕落」ってことになるんじゃないかね?


それは間違いってこと?いや、今言ったような考え方・立場も一貫しているなら別にいいと思うよ。だけど、専従念仏を「堕落」のように語り、キリスト教やカルヴァン派をそう評価しないのは、少なくともダブルスタンダードでおかしいだろって話。こう言うと散文的だけど、「結果の平等は否定するが、機会の平等は必須のものとする」と考えると、近代合理主義や個人主義にも深く関わる話よね。まあヒンドゥー教みたいな輪廻や前世とはバッティングするけどな。


ともあれそうして鎌倉時代でさらに民衆への浸透がブーストされたことを踏まえると、一向一揆の流れはすんなり理解できる。つまり民衆化運動の結実だ。それを見た江戸幕府が、押さえ込むシステムを作り上げた。キリスト教を排除しつつ、それに仏教を利用する。そしてものの見事に牙を抜かれた。むしろ積極的に荷担すらした。それが250年以上も続いて形骸化したところへの廃仏毀釈と梯子外しなわけよ。


こうして「慣習」としての要素を強めた仏教は、さらに「空気」化していく。その結果が1952年の「個人の宗教50%、家の宗教90%」て回答なんだろうよ。こうして宗教戦争と手打ち、政教分離によるデノミネーション(三十年戦争とウェストファリア条約はその典型)という欧米、特に西欧とはまた違う流れの中での形骸化・表層化・世俗化が徐々に進んだ結果、就職や就学による人の移動に基づく家=伝統的共同体からの引き離しと継承の失敗、アメリカ的物質至上主義、高学歴化などが相まって宗教的帰属意識を急速に希薄化していった、とまあそんなところじゃないの?


思いつきをそのまま結論にするのはお逝きなさい(古い)だが、今述べたみたいに、それを軸として日本と他国の差異を考察するのはある程度有益。そこから色々なものが見えるから。そして比較を通して見えた理論のおかしな点は、FBしてまたさらなる理論のブラッシュアップにつなげるって寸法やな。もちろん。そう簡単に結論が出るなんて思っちゃいねーよ。しかし、今の議論を見てると、「コギトエルゴスム」で批判したこともそうだけど、そもスタートラインにすら立ってないから話にならんのやな。


唯物論や共産主義の影響じゃないかという意見。それ学生運動のイメージでしょ(ちなみに当時の大学進学率は今と違って1割しかない。その影響力ってどれくらいなんですかねえ)?しかし年代別の信仰心に関する推移を見ると、軒並み下がってる。高齢者もそうなんだから、辻褄合わなくね?あと、エビデンスというか数字を元に語るなら、信仰と高学歴が反比例する点の方がよほど重要じゃない?戦後は高校と大学の進学率が上がっていく。それがそのまま若い世代の信仰心低下に反映される、と考えられる。


少なくとも、データからもわかるように、平気でクリスマスをやり、初詣とかにも行き、火葬は法律なんでともかくとして、仏式の葬式までやる「凡庸な日本人」と同じ姿からは唯物論によって信仰心がなくなりました、というシナリオを思い描くのは困難じゃね?文化大革命と比較してみろよ。宗教的遺物の破壊。旧ソ連の弾圧。いかに日本がヌルイかよくわかる。意識調査の数値も政策も、ともに唯物論や共産主義が原因じゃね?という見解に反するぜ。


進学と言えば、戦後は集団就職とかで家を離れたり。継承の失敗という側面は?まあ1952ですでに「家の宗教」って約40%が答えてるんだから、多分に表面的になってる可能性は高い。だから剥離も割と容易だったんでは?しかし都市に出てきた人たちがそれまでの宗教共同体からも遊離した結果、創価学会に吸収されたってのは有名な話じゃん。軛が無くなってはい終わり、だったのかちと疑わしいぜ。


同感。実はそこの答えがこれだ、と企業墓の写真を出す。社員旅行など。日本に特徴的とされる会社共同体だったのではないか?宗教も含めた共同体から浮遊した人々を、会社が包摂(埋め合わせ)した。


戦後日本て、世界の覇権を握るという夢が砕け散った後に、経済的豊かさを求めて必死に働いた時代と言われてんじゃん。で、高度経済成長して「ジャパンアズナンバーワン」になって夢を叶えたと思った矢先にバブル崩壊で奈落の底に落ちるわけだけど、その後に来たのがオウム事件(新新宗教の逆襲?)てのは何とも象徴的。


というのも、バブル真っ盛りの80年代でフリーター讃歌が始まった。つまり企業共同体と距離をとる事が称揚され始めたわけだ。もちろん、正社員の率は相変わらず高かったし、フリーターが軒並み新宗教に流れていったというわけでもない。ここで強調したいのは、企業共同体に包摂されることを是とする(あるいは自明視する)価値観の希薄化だ。その間隙を埋めたのが諸々の「精神世界」ではなかったかと。新宗教だけじゃなくてニューウェーブとかも当てはまる。


しかし、オウム事件で精神世界に豊かさを求めるのも危ないと見なされるようになる90年代後半、その間隙をぬうようにして今度は「作る会」的なナショナリズムが広がっていく、のかなと(cf.小熊英二『癒しのナショナリズム』)。ともあれ、物質的豊かさを求めたがゆえに伝統宗教への帰属意識が無くなっていった、というのは印象論としてよく言われるが、実はそれがなされたのは、会社共同体が新たな宗教共同体=教団として機能し、人がその「教団の利益を追及する」という構造もあったのではないか?だから、それが機能を果たさなくなると、オルタナティブが必要になって、それが「日本スゲー!」なんじゃないかな、と。


戦後は「伝統的共同体からの切り離しと因習の否定」+「経済的復興の追求と会社共同体への包摂」が機能して伝統宗教への宗教的帰属意識の希薄化が進みつつ、経済的繁栄を達成した。そして経済的繁栄が行き詰った時、もはや伝統的共同体へのロイヤリティも宗教的帰属意識も失った(背景にはオウム事件もあり)人々の行きつく先は、ナショナリズムだったというわけだ。ちなみに日本人の置かれたこういう状況は、ローンウルフ的犯行に欧米のテロールと違って宗教が絡んでないという特性にも見て取れる気がするね。


(了)

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