一応皆殺し編で事件のあらましは判明したひぐらしだが、それでも前の話を思い返すと未解決の謎は多い。その中で大きなものは、例えば祟殺し編における圭一の行動である。そこで圭一は鬼隠し編のように暴走するのだが、(天文学的確立で)雛見沢症候群を発症している鬼編と違い、そうなる要因の無い祟編は暴走する十分な根拠が無い。なるほど沙都子が追い詰められているという理由は存在するけれども、それは圭一が殺人に走る要因にはなっても、症候群になる理由とはならない。
他に症候群を発症した者としては(周知のように)詩音とレナがいるが、彼女らはそれなりに説明がつく。というのも、前者は園崎家長女であり、「鬼」の血を濃く継いでいるとされる。これが正しいのなら、詩音は普通の人間より暴走しやすいことになる(それがどの程度が定かではないが)。長子が特に(鬼の)血を濃く受け継ぐことなどありえるのか?と疑問に思えるが、「鬼」の刺青、「鬼」の含まれた名がその人間に冠される以上、物語内で長子が特別な何かを背負っていると考えておくのが妥当であるように思う(注)。とすれば、園崎家長子は特に暴走しやすい体質の可能性が高い。詩音が症候群を発症したのはそれが一要因だろう。
レナは罪編において発症の経緯が示されているから、くり返す必要はないだろう。感染症などで言う「キャリア」と同じようなものと捉えておけばいいと思う(例えばL5まで症状が進んだ沙都子は、定期的に投薬&検査を行わなければならない状態にある)。
とまあ詩音とレナに暴走する必然性があるわけだが、圭一は違う。それはどんな例を持ち出すよりも、梨花が鬼編の圭一を「天文学的確率で暴走」と評していることから明らかだ。つまり、雛見沢から離れるという発症の要件を一応満たした場合でさえ、暴走は「天文学的確率」(=とうていありえない)のだ。ならば、その要件すら存在しない祟編で発症することなど皆無と言っていいだろう。
であれば、まず一つめの予測的批判。鉄平殺害を思い至った圭一を見たレナの「青い目をしていた」(=ひぐらしモード?)という発言が症候群の発症を意味していた場合、「天文学的確率」が生じた状況以上に発症が考えられない祟編での発症は、作者によるご都合主義的な病気の濫用と評することができるだろう。
あるいは、もし理論どおりに症候群が発症していない場合、祟編では、知覚された情報が都合良く改変されるという症状も出ていないことになる。すると今度は、レナたちの証言がおかしいように見える。というのも、圭一が沙都子を気遣っているのは明らかなのに、「沙都子ちゃんが(鉄平は)いるっていうならそれでいいじゃない」などと投げやりな発言をしているのである。(罪編から推測されるように)仮に鉄平殺しの処理が魅音を中心になされ、その秘密をレナたちと共有していたとしても、あの発言はおかしい。また、ナーバスになっている圭一に対し(言い出したのが圭一とはいえ)レシートの要求を行ったりするのも変。
そしてもう一つ。よく「世界がクロスオーバー」した可能性が指摘されていたが、「二人の圭一」も疑問のままだ。確かに、一段裏読みすれば本人に無断の口裏合わせ(=アリバイ作り)なのだけれど、それにしては梨花の話はあまりに生々しいように思える。それは「祭具殿の前に圭一が座っていた」という話だが、なぜわざわざ聖域の近くに圭一を配置しているのかがわからない。いやそれより、そもそも本人に無断の口裏合わせという行為が相当に荒唐無稽でムチャなのも事実だろう。いかな雛見沢とは言え、祭りの人間全てを巻き込む可能性のあるアリバイ作りだからだ。そのわりに妙に生々しい梨花の発言…まあその荒唐無稽さとちぐはぐさが、「世界のクロスオーバー」という解釈の生まれた理由の一つなのだろう。
(注)この行為に鬼を封じ込める意味があるとしたら、名も刺青も持たない詩音が暴走する必然性が生まれる、などと考えた。しかし、あいにくと母親の茜も名は持たない。もっとも、茜はもともと持っていた名から「鬼」を抜かれたという経緯を持っているから、刺青はしている可能性はある。あるいは、茜も非常に暴走しやすい体質ではあるが、精神的な強さが今のところ勝っているということなのだろうか?
他に症候群を発症した者としては(周知のように)詩音とレナがいるが、彼女らはそれなりに説明がつく。というのも、前者は園崎家長女であり、「鬼」の血を濃く継いでいるとされる。これが正しいのなら、詩音は普通の人間より暴走しやすいことになる(それがどの程度が定かではないが)。長子が特に(鬼の)血を濃く受け継ぐことなどありえるのか?と疑問に思えるが、「鬼」の刺青、「鬼」の含まれた名がその人間に冠される以上、物語内で長子が特別な何かを背負っていると考えておくのが妥当であるように思う(注)。とすれば、園崎家長子は特に暴走しやすい体質の可能性が高い。詩音が症候群を発症したのはそれが一要因だろう。
レナは罪編において発症の経緯が示されているから、くり返す必要はないだろう。感染症などで言う「キャリア」と同じようなものと捉えておけばいいと思う(例えばL5まで症状が進んだ沙都子は、定期的に投薬&検査を行わなければならない状態にある)。
とまあ詩音とレナに暴走する必然性があるわけだが、圭一は違う。それはどんな例を持ち出すよりも、梨花が鬼編の圭一を「天文学的確率で暴走」と評していることから明らかだ。つまり、雛見沢から離れるという発症の要件を一応満たした場合でさえ、暴走は「天文学的確率」(=とうていありえない)のだ。ならば、その要件すら存在しない祟編で発症することなど皆無と言っていいだろう。
であれば、まず一つめの予測的批判。鉄平殺害を思い至った圭一を見たレナの「青い目をしていた」(=ひぐらしモード?)という発言が症候群の発症を意味していた場合、「天文学的確率」が生じた状況以上に発症が考えられない祟編での発症は、作者によるご都合主義的な病気の濫用と評することができるだろう。
あるいは、もし理論どおりに症候群が発症していない場合、祟編では、知覚された情報が都合良く改変されるという症状も出ていないことになる。すると今度は、レナたちの証言がおかしいように見える。というのも、圭一が沙都子を気遣っているのは明らかなのに、「沙都子ちゃんが(鉄平は)いるっていうならそれでいいじゃない」などと投げやりな発言をしているのである。(罪編から推測されるように)仮に鉄平殺しの処理が魅音を中心になされ、その秘密をレナたちと共有していたとしても、あの発言はおかしい。また、ナーバスになっている圭一に対し(言い出したのが圭一とはいえ)レシートの要求を行ったりするのも変。
そしてもう一つ。よく「世界がクロスオーバー」した可能性が指摘されていたが、「二人の圭一」も疑問のままだ。確かに、一段裏読みすれば本人に無断の口裏合わせ(=アリバイ作り)なのだけれど、それにしては梨花の話はあまりに生々しいように思える。それは「祭具殿の前に圭一が座っていた」という話だが、なぜわざわざ聖域の近くに圭一を配置しているのかがわからない。いやそれより、そもそも本人に無断の口裏合わせという行為が相当に荒唐無稽でムチャなのも事実だろう。いかな雛見沢とは言え、祭りの人間全てを巻き込む可能性のあるアリバイ作りだからだ。そのわりに妙に生々しい梨花の発言…まあその荒唐無稽さとちぐはぐさが、「世界のクロスオーバー」という解釈の生まれた理由の一つなのだろう。
(注)この行為に鬼を封じ込める意味があるとしたら、名も刺青も持たない詩音が暴走する必然性が生まれる、などと考えた。しかし、あいにくと母親の茜も名は持たない。もっとも、茜はもともと持っていた名から「鬼」を抜かれたという経緯を持っているから、刺青はしている可能性はある。あるいは、茜も非常に暴走しやすい体質ではあるが、精神的な強さが今のところ勝っているということなのだろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます