動機づけを担保しなければ、解決策だけ考えても時間のムダである

2022-11-04 12:49:49 | 生活

勉強に関して、「この子はやればできるのに・・・」という言葉は誰しも一度は聞いたことがあるのではないだろうか。しかし、この言い古された物言いは、「やらないからできない」であり、もっと言えばそこに「動機づけ」がなければ、むしろ「いくら能力があっても無意味で状況を変えることはできない」とも考えることができるのである。

 

現代社会はこれまでに比べて変化が激しく、かつ複雑化・多様化が進行していることに異を唱える人は多くないと思われる。とするなら、その変化に合わせて自分(たち)も変化したり、あるいは多様化に合わせて新しい道を模索する、という志向性が一種の生存戦略と言えるわけだが、どうも日本社会の大勢はそれと異なる方向に向かっているようである🤔

 

というのも、変化の激しさと複雑さにより先行き不透明で容易に最適解が見出しがたいことから、(地方公務員のようなものに)むしろ「安定」を求めてしがみつき、(失敗するのが怖いから)挑戦しない・できないというメンタリティが広がっているからだ(もちろん全員がというわけではない。また年齢層が高くなると、「逃げ切り」を狙って組織を改革せず骨の髄まで既得権益をしゃぶり尽くそうとするメンタリティとなり、これまた変化を難しくする要因となっている)。

 

このような中、明らかな経済衰退と少子高齢化の影響(生産年齢人口の減少・経済規模縮小・税収減少など)により、新しいことを実行するための原資はどんどん失われていっている。そして将来いざ挑戦しようとしてもできることがもはや少なく変化できる質・量は微々たるものとなっており、その苦境に対してより不安が増大してさらにしがみつき傾向に拍車がかかる、というわけだ(こうして見ると、先の大戦末期とよく似ている。違いは多少財に余裕があれば国外に逃亡できることぐらいか)。

 

その意味で言えば、「貧すれば鈍する」という茹でガエル状態へとすでに陥っているわけだが、その状況を変えようという動機づけも今後さらなる勢いで失われていくだろう。なるほど「ファスト教養」のような形でシステムを理解してそれを生き抜く方法を身に着けようとする行動をとる人間は出てくるが、彼らにはシステムを更改しようとするような動機づけはなく、それは言ってみれば「イノベーション不在のサバイブ術」である。こうして大量のシステム依存した「茹でガエル」と、システムを変える動機づけを持たないそれなりの数の「ファスト教養」的人間が跋扈する中、意思のある人間はもはや日本社会に期待するのは時間のムダだと国外にその活動拠点を移す、というわけだ(まあこのままどんどん円が弱くなっていけば、安く暮らせる日本で海外の仕事を受注して悠々自適に暮らす、というanywhereな人たちもそれなりに出てくるだろうが)。

 

「だったら挑戦する人を育成せねば!」と思うかもしれない。ではその動機付けはどうやって調達するのだろう?何かしようとすれば「出る杭」として打たれ、失敗すればとにかく粗探しをされた挙句に自己責任の大合唱で袋叩きに遭う。そしてもし生活保護にでもなろうものなら、社会的に死んだかのような二級市民扱いである(なお、よくわからん不文律と暗黙知で既得権益にまみれた組織が運営されており、どこから変えればそもそもわからん、という特典付きであることも付け加えておこう)。

 

逆にこういった状況において、挑戦しようという動機づけを持った人間が(多く)出てくるはずだ、と期待する方がどうかしてるんではなかろうか?むしろ、自己保身的な安定重視の行動をとるようになり、それを批判されれば「それならあなたは、私が失敗したら責任取ってくれるんですか?できないんだったら口を出さないでもらえます?」と反発されるのがオチだと思うのだが(これまた過剰な自己責任論の弊害やね)。

 

なるほど経済面やテクニカルな問題に対し、解決案を提示することはできるし、それをやる能力も日本にはあるだろう。しかし、生活習慣病を指摘された人間がその行動を必ずしも変えられるわけではないのと同様に、解決する方向へ行動する(時にはそれに向けて血や汗を流す)動機づけなしには「やればできる」と言われ続けている子供と同じなのである(例えば以下のような具合。生産年齢人口の不足はDX化の奇貨となりうるが、日本の大半を占める中小企業がそのような変化に対応できるか大いに疑問である。そういう「多数派意見」を変化を求める意見と両論併記することで、結局は鈍重な改革しかできないため、数十年の間はインフレや年金不足で不安な高齢者の再雇用で賄うしかなくなる、というわけだ[もはや奴隷労働で賃金が安くなった日本には他国からわざわざ人は来ませんよと]。まあでも、これで「老人は~歳になったら安楽死」みたいなことで論争する必要はなくなるから、長生き=幸福だと思っている人たちにはありがたい状況じゃないすかね。やったねたえちゃん😀)。

 

この動機づけの部分や、それをどう担保するのかを考えることなしに、ただ解決案を提示しただけで「だから心配しないでよい」というのは、この合併症で身動きが取れなくなりつつある日本社会の状況を、いかにも甘く見すぎていると私は思うのである。

 

なお、賢明なる読者諸兄は、私が南海トラフ地震や台湾リスク、中国のバブル崩壊の余波といったさらに状況を悪化させる要因には一切触れてないことも気づいているだろう、ということも最後に付け加えておく。


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