山折哲雄の『日本人の宗教感覚』を読んでいたら、233p(『道賢上人冥途記』の記述)において地獄で鉄窟の苦しみを受ける醍醐天皇の話が出てきた。そう言えば地獄に堕ちた天皇の話を以前聞いたことがあるなあなどと思いつつ、ふと「天皇の地獄行きなど書いたら、明治以降であれば不敬罪になってただろう」という考えが頭をよぎった。
ところでこのような話が出てくるのは、当時、天皇が地獄へ行くことがあり得、それを書くのも悪いことと思われていなかったという事実を反映しているのではないだろうか。もっとも、このような思想にどれほどの(民衆は?貴族は?といった)一般性があったかを語れるほどの知識が私にはない。ただ、著名な『源氏物語』において、源氏の父桐壷帝が地獄をさまよっているというエピソードがあることからすれば、天皇のすぐそばでもそういった内容を書ける(精神的)土壌が存在していたとは言えるのではないか(天皇が地獄に落ちるなど畏れ多いと考えられていたのなら、そんな内容は怖くて書けまい)。
まあ当時は神でさえ地獄に落ちるとされていたらしいから、天皇が地獄に落ちるという考えも何ら不思議ではないのかもしれない。とはいえ、当時の天皇に対する人々の観念、そして明治以降の天皇観などを考えるとき、天皇と地獄(あるいは異界)という問題は一つのおもしろい視点ではないかと思うのだがどうだろうか。
ところでこのような話が出てくるのは、当時、天皇が地獄へ行くことがあり得、それを書くのも悪いことと思われていなかったという事実を反映しているのではないだろうか。もっとも、このような思想にどれほどの(民衆は?貴族は?といった)一般性があったかを語れるほどの知識が私にはない。ただ、著名な『源氏物語』において、源氏の父桐壷帝が地獄をさまよっているというエピソードがあることからすれば、天皇のすぐそばでもそういった内容を書ける(精神的)土壌が存在していたとは言えるのではないか(天皇が地獄に落ちるなど畏れ多いと考えられていたのなら、そんな内容は怖くて書けまい)。
まあ当時は神でさえ地獄に落ちるとされていたらしいから、天皇が地獄に落ちるという考えも何ら不思議ではないのかもしれない。とはいえ、当時の天皇に対する人々の観念、そして明治以降の天皇観などを考えるとき、天皇と地獄(あるいは異界)という問題は一つのおもしろい視点ではないかと思うのだがどうだろうか。