いわゆる「成熟社会」の背景:分断とポピュリズムが必然化する要因

2022-01-17 12:50:00 | 生活

 

 

これまで何度かに渡り、逼迫した日本の社会状況やその背景について述べてきた。とはいえ、そこから「日本だけがおかしい」とするのは事実誤認な上に対応を誤る元なので少し触れておきたい(「日本スゴイ!」とやたら持ち上げるだけなのは現実逃避的という意味でも愚かだが、一方で日本だけがダメだと考え、あまつさえ他は良い・素晴らしいとみなすのも間違っている。それは、先の大戦で日本のそれを「聖戦」のように正当化したり、ただ「完全悪」と決めつけると似ている。ベクトルは違えど、思考停止という点で両者は同じなのだ)。

 


さて、冒頭の動画で言われているのは、国民国家というものがは、コミュニティ(自然発生的な集合体)に見せかけたアソシエーション(目的志向的な集合体)に過ぎない、という話だ(アンダーソンは、それを「想像の共同体」と呼んだ)。その時に、自と他を分かつものとしての外敵を設定し、それに対抗する国民軍を建設する上で有効にその概念が機能したと言っている(国民軍は元の動機付けが国防≒故郷を守ることであるため傭兵よりも士気や規律の面で優れており、それがナポレオンの戦略・戦術眼とあわさって強力なフランス軍が生まれ、勝利を重ねていった。これをプロイセン軍などが模倣していくことになる)

 


である以上、成立要件がなくなれば、瓦解は免れえない。それが多様化や複雑化に伴う分断であり、そこにはグローバリゼーションによる過剰流動化も背景にあるが(この反発がブレグジット)、いまだ国民国家の共同幻想は生きている、ゆえに、「敵を作る」のは政治的に有効であって、トランプ現象やフランスでのFNの躍進のように、排外主義が唱えられ、少なくない指示を得る理由である(分断による不安は、ナチスの記憶があるはずのヨーロッパ諸国で、極右政党を躍進させたりもしている)。

 


 

 

というわけでこちらの動画を挙げてみよう。よく、「反日政策」という言われ方をするが、まさにその言葉通り政治屋たちの人気取りの手段(ポピュリズム)として、日本(隣国)に居丈高な態度を取る方針が取られている、と言及されている(韓国社会の急激な成長による巨大な格差に不満を持つ者は多いが、それを解消するための政策は経済停滞を招いたり財閥の反発を受けたりする。よって「外に敵を作り、それを攻撃することで[一部]国民のガス抜きを行っている」というわけだ)。

 

 


世の中には「真剣に対話すれば通じる」という幻想を持っている人も少なくないが、それは状況次第だ。つまり、相手に解決する気がない、むしろ解決したら困る場合、相手の要求を飲むような態度を示しても、今度はさらなる「問題」が作り出されて外交カード(というか国内向けのポーズ)に使われるだけだろう。

 


今回は解決困難な国内の分断と不満を、「外敵」への攻撃という行為でそらすという古典的な手法の話だが、対応する側もそれがどういう意図で産み出されているかを見抜く必要があると言え。(その意味で、動画内で成田が言う「真剣・深刻に扱うことが、かえって問題を悪化させる」という分析は重要である。これは以前「サッカーで決めたらええやん」という友人の発言を紹介したことがあるが、「棚上げ」といった言葉もあるように、両者が真剣に取り組んで完全な合意に到るのが常に最適解と考えていると、とんでもない間違いを犯すことになる。これはかなり説明が大変な案件なので、稿を改めて書きたい)。

 


というわけで、日本のみならず成熟社会を迎えた先進国が一般的に抱える状況について述べた。まあそれをもって、「他がそうなんだから日本は大丈夫だ」などと考えるのだとしたら、日本が「課題先進国」と言われる要因(変化への対応に失敗し、問題が顕著に発現している)を無視した正常性バイアスの最たるものであり、このような思考には陥らないようにしたいものだ、と述べつつこの稿を終えたい。


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