日本が経済成長の中で「エコノミック・アニマル」と呼ばれたのはもう50年以上も前の話だが、今日の「ファスト教養」、すなわちファストフード的に加工された情報を、専ら仕事に役立つという観点だけで求める姿勢はそれと相似形に見えるのは私だけだろうか?
とはいえ、仮にこういった見方が正しいとしても、「出し抜く」ことを意識した「ファスト教養」には社会的視点が欠落しており、群れとして協力し合あう気もなく、ただ個として効率よく生き延びる発想しかできない状態なのを踏まえると、そのあり方に「アニマル」の名を関するのは動物に失礼であるかもしれない、とも思うのである。
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