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一晩寝たらだいぶスッキリしたんで、年が変わる前にレビューを書いておこうと思う。まず一言で言うと、「物語としてはよくできているが、推理モノとしては微妙」。解答部分を見ていて「それって結局何でもありと同じなんちゃうん?」と感じた。ひぐらし推理掲示板の中で営々と積み上げられてきた推理の数々を思えば、正直期待したほどではなかったと言わざるをえないだろう。しかし当然のことながら、必然性が全くないところから突如として出てきた真相ではない。[ネタバレなし]なので詳しく書けないが、暇編で赤坂が主人公になったことなどもきっちり伏線となっている。そのへんの必然性や伏線がしっかりしているため、評価が難しいところなのだ。
次にテーマや演出について。以下の二点を特に挙げよう。1.殺し方、2.運命との戦い。まず1から。今までひぐらしでは殺害シーンは非常に濃密だった。例えば鬼編・祟編の撲殺シーン。あるいは目編の拷問シーン。ひぐらしの特徴として、殺人は単なる目的のためのプロセスではなく、強烈な感情が伴うものだったのだ(罪編の鉄平は例外だけど)。今回は、「皆殺し編」だけあって凄まじく人が死んでいく。だが今までと異なるのは、淡々と殺されていくという点。そこには、目的の達成という意識は存在するが高揚や恐怖、憤りといったものは入り込まない。それこそ、虫けらのように消されていくのだ。特に最後の最後は凄まじく、画面効果も手伝って壮絶なことになっている。今までの殺害シーンについて、私はその濃密な描写を高く評価してきた。それが、最後でこのような転換を見せたこと、言い換えれば、濃密な描写は淡々とした殺人を際立たせるためのギャップという役割をも担っていたという点について、脱帽するより他ない。
続いて2。もしかすると、推理部分と並んで批判の的となる部分かもしれない。だが、今までの悲惨な終わり方を念頭に置けば、どれほど決死の闘いが必要となるかは自明のことだ。しかも、題名から予想がついてると思うが、決死の闘いをしても(梨花にとって)終末を逃れることはできないのである。要するに、今までの内容と、変わらず繰り返す悲劇を念頭に置けば、この闘いの意味(そして喜劇性さえも!)は過つことなく理解されると思う。願わくば、この闘い(方)を無批判に賞賛する者、ニヒリズム的な立場からあざ笑う者の少なからんことを。
未プレイの者は、掲載された画像の意味をわからず首を傾げるだろう。プレイした者は、恐れとおののきをもってこの画像を見るだろう。地獄の門を開く者に幸あれ。そしてさようなら、よい終末を。
次にテーマや演出について。以下の二点を特に挙げよう。1.殺し方、2.運命との戦い。まず1から。今までひぐらしでは殺害シーンは非常に濃密だった。例えば鬼編・祟編の撲殺シーン。あるいは目編の拷問シーン。ひぐらしの特徴として、殺人は単なる目的のためのプロセスではなく、強烈な感情が伴うものだったのだ(罪編の鉄平は例外だけど)。今回は、「皆殺し編」だけあって凄まじく人が死んでいく。だが今までと異なるのは、淡々と殺されていくという点。そこには、目的の達成という意識は存在するが高揚や恐怖、憤りといったものは入り込まない。それこそ、虫けらのように消されていくのだ。特に最後の最後は凄まじく、画面効果も手伝って壮絶なことになっている。今までの殺害シーンについて、私はその濃密な描写を高く評価してきた。それが、最後でこのような転換を見せたこと、言い換えれば、濃密な描写は淡々とした殺人を際立たせるためのギャップという役割をも担っていたという点について、脱帽するより他ない。
続いて2。もしかすると、推理部分と並んで批判の的となる部分かもしれない。だが、今までの悲惨な終わり方を念頭に置けば、どれほど決死の闘いが必要となるかは自明のことだ。しかも、題名から予想がついてると思うが、決死の闘いをしても(梨花にとって)終末を逃れることはできないのである。要するに、今までの内容と、変わらず繰り返す悲劇を念頭に置けば、この闘いの意味(そして喜劇性さえも!)は過つことなく理解されると思う。願わくば、この闘い(方)を無批判に賞賛する者、ニヒリズム的な立場からあざ笑う者の少なからんことを。
未プレイの者は、掲載された画像の意味をわからず首を傾げるだろう。プレイした者は、恐れとおののきをもってこの画像を見るだろう。地獄の門を開く者に幸あれ。そしてさようなら、よい終末を。
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