ひぐらしのなく頃に 業:郷壊し編の世界構造について→何が改竄されているか

2021-02-18 17:00:00 | ひぐらし

前回の記事で、カレンダーの年号やトランプの札から「郷壊し編は現実をそのまま反映した話ではない」という結論を出した。とはいえ、梨花の記憶で「昭和63年」・「聖ルチーア学園」・「沙都子らしき人物と本屋で会話している場面」は登場してきており、全てが嘘であると考える必然性もまた、今のところ低いのである(ちなみに、古手梨花が嘘をついている、ないし重大な記憶の欠陥を抱えている可能性もゼロではないが、現状ではその根拠もなく、それさえ疑ってしまうと何も話が進まなくなるため、ここでは梨花の言及は「基本的に全て真」という前提で書いている)。

 

それを踏まえて、郷壊し編がどのような世界かと考えれば、そもそも「ひぐらし 業」で描かれる偽りの昭和58年の目的は、ほぼ確実に「梨花を雛見沢に繋ぎとめること」・「そのために梨花を肉体的・精神的に追い詰めて屈伏させること」の二つであった。とするなら、郷壊し編もまた、類似の目的をもって構成されていると考えるのが自然だろう。つまり、梨花に何らかの精神的・肉体的苦痛を与え、彼女が雛見沢を離れたこと=罪という意識を植え付けることが、これまでと同じく郷壊し編の世界を貫く原理と予測される。ここに梨花が沙都子を誘って聖ルチーア学園を受験したこと、そして聖ルチーア学園に馴染めない沙都子を半ば放置したことなどの必然性に欠ける行動を重ね合わせると、およそ以下のような構造になっているのではないか。

 

【梨花の記憶から確実なこと】

・梨花は昭和63年までは通常の世界にいた
つまり、現実ではこの段階まで生存していたが、何らかの理由で偽りの昭和58年に閉じ込められているということ

 

・梨花は聖ルチーア学園に通っていた
動機付けは不明だが、背景として沙都子の症候群が完治したらしいという入江の診察結果は影響しているだろう
(この部分まで改竄を疑うこともできるが、少なくとも私は根拠を見つけられなかった)

 

・梨花の回想シーンから、彼女は聖ルチーア学園を受験するにあたり、沙都子にあらかじめ相談していた
(ただし、わざわざ興宮まで沙都子を連れて行って自分の受験したい学校のことを伝える意味があるのか、という疑問は残る。「他の人にバレるのが嫌だから雛見沢を避けた」などの理由なら、むしろ家の中で二人だけで共有する方が賢明であり、興宮は雛見沢関係の人間が多数いるためどこからでも漏れる可能性がある)

 

 

【改竄されたと想定される部分】

1:梨花は沙都子が自分と同じ学校を受験するように誘ってはいない
赤坂や園崎茜が経緯を描くことなく梨花を殺す描写がなされたのと同様、そもそも梨花が沙都子に同じ学校を受験するよう促す必然性は全くないし、ゆえにそれは描かれていないのだと考えられる。要するに、「現実では、梨花は沙都子を聖ルチーア学園の受験に誘ってはいない」ということではないだろうか(それは現実のひぐらし世界だと、赤坂や園崎茜が梨花を害そうとしたことがないのと同じだ)。一応、梨花の打ち明け話を通じて沙都子が自発的に聖ルチーア学園を受験した可能性は残るが、そこを吟味してもあまり意味はないだろう。

 

2:沙都子はそもそも聖ルチーア学園に通っていない
聖ルチーア学園での沙都子に対する梨花の関心の薄さも引っかかる部分だ。これまでの梨花ー沙都子の関係性からしてもそうだし、そもそもわざわざ誘って同じ学校を受験した人間が苦悩しているのをほったらかしにするかね?という疑問もある(一応付言しておくと、現実世界でこういうすれ違いや心変わりはしばしばあることだし、それをテーマにした作品も枚挙に暇がないが、わざわざ終盤でそういう話を持ち出してくるにはあまりにこれまでの描写が少ない=必然性が構築できておらず違和感が拭えない、ということだ)。

おそらくこれは、沙都子がそもそも現実には聖ルチーア学園に通っていないことに起因すると思われる。つまり、沙都子が放置されているわけではなく、本来そこにいないのだから何もできないのは当たり前、ということだ。なお、この改竄の狙いは、沙都子が狂気に捉われた要因を梨花にあると(梨花及び視聴者に)印象付けることだと考えられる。

第19話の冒頭で入江が沙都子の分の学費まで出すの!?と周囲が驚いた反応をわざわざしているのも、彼女が実際には聖ルチーア学園には行かなかったことを暗示しているのではなかろうか(その他、悟史の件なども彼女が雛見沢を離れない理由になるだろう)。

 

以上を踏まえ、改めて今後の展開予測をしてみたい。

 

 

【今後の展開予測】

1:梨花に「放置」された沙都子は狂気に蝕まれていき、やがて凶行に及ぶ
聖ルチーア学園において鬱屈とした日々を起こる沙都子は、やがて梨花を害するような行為に及ぶに到る。その中で、あるはその結果として、梨花はこの世界もまた「張りぼて」に過ぎないと喝破し、そこで猫騙し編の最後、すなわち梨花が銃を取り出したシーンに記憶が戻るのではないだろうか?

最終的には梨花が「羽入の『あと5回』は間違っていた」・「偽りの昭和58年において、『北条沙都子』という存在はループしている」ことを看破し、北条沙都子-羽入が結託して自分を偽りの昭和58年に閉じ込めておこうとしていること、そこから脱出するには羽入が話した(おそらく)オヤシロソードで自害することが必要、と気づいてループを断ち切り、最終的にこの世界を作り出した真の原因と向き合うことになる、という話ではないだろうか。

 

2:「ひぐらし 業」の世界を作り出した原因は何か?
考えられるのは、前にも述べた話だけれども、梨花が雛見沢を離れたことによる影響で沙都子の症候群が再発した、という状況だ。梨花は後顧の憂いがないように、わざわざ他の御三家当主と直談判して綿流しの祭り時に宣言まで出してもらうという配慮をしたことにより、村の中での沙都子の立場は良化した。しかし、昭和63年ともなれば部活メンバーは誰とも以前のような関係性を維持できていない、という状況の中に過去の惨劇絡みの話が何かの弾みで出てきてしまい、その「不幸な事故」に自分が深く関わってしまったことを知った沙都子は、再び症候群に苛まれてしまったのではないだろうか。そして、その状況下ではすでに入江研究所は存在せず、ゆえに助けを求める対象すらないまま、沙都子は疑心暗鬼の中これまでの梨花の様々な配慮を陰謀として再解釈していってしまう(沙都子の両親の死の真相を打ち明けなかったことも、梨花が女王感染者であることを伝えていないのも、沙都子の村八分が起きないようにする配慮も、梨花が聖ルチーア学園を受験して雛見沢を離れてことも全て、だ)。

その疑心暗鬼の頂点で「梨花が雛見沢を離れさえしなければこんなことにはならなかった」と考えてしまい、沙都子はオヤシロ様にまつわる祭具を手にするか、あるいはそれをもって梨花を害するかすることで彼女を偽りの昭和58年に閉じ込めてしまった、というわけだ(その意味において、線引きは難しいが、羽入は沙都子の「共犯者」的立場にいるということになるのではないか)。

梨花としても全寮制の空間で情報が限られているため、そういった窮状を詳しくは知りようがなかっただろう(昭和63年であればメールもケータイもない。一応昭和63年はポケベルが世に出始めるタイミングではあるのだが、今まで一度も作中で使用されていない機器についてあーだこーだいうのもナンセンスだろう)。

そんな中で起きたすれ違いと誤解が生んだ惨劇の世界、それが「ひぐらしのなく頃に 業」ではないかと思われるのである。

 

3:物語の落としどころは?
これは非常に難しい。今の予想が正しければ一応解決策は簡単に思いつくが、「梨花が雛見沢に帰って問題を解決して終わり」では話として竜頭蛇尾の感はぬぐえない。まあこれまでかなり吟味された描写をしてきた本作であるから、そこをどう完結させるのか、その手腕に期待したいところである。

 

というわけで、おそらく沙都子の狂気が進行するであろう20話を見てみるとしませう。


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