最近マスメディアの話を書いてなかったが、相も変わらず愉快な失態を延々続けているようなので、ちょっと紹介してみた。
大手マスメディアが既得権益側としてヘイトを買う存在になり下がっている構造については、「なぜマスメディアは『マスゴミ』と評されがちなのか:その危険性と必然性」などですでに述べた通りだ(ついでに週刊誌報道に妙な期待が集まる理由にも触れている)。それにしても、その窮状に対する内部の理解不足を見ると、人間て組織レベルで認知が歪むとこうなるんだなあ、と旧日本軍などを改めて思い出しつつ感慨深く観察している次第である(この点はオリンピックにおける日本のサッカーチームの自己評価の態度にも見て取れるのが興味深い。まあそもそも自分はオリンピック自体を全く見てはいないのだけれどもw)。
ともあれ、すでにクロスオーナーシップや再販制度、記者クラブ制度といった特権の構造ができ上っているため、自浄作用はほぼ働かず、今までの蓄積をどんどん吐き出していくことになると思われる。
そうする中で優秀な人材は入らないばかりか抜けていき、そこに視聴者減→広告収入減による製作物の劣化が加わり、ますます状況が悪くなるという負のスパイラルが目に見えている(大きくなり過ぎた官僚主義的組織を変える努力をするより、自分が別の組織に移った方が早い、ということに聡い人間なら大抵気付くものである)。もちろん、だからと言って「消滅」することにはならないだろうが。
もっとも、現在大手テレビ局の窮状は、まだネタとして消費価値がそれなりにあるだけマシだろう。もはや新聞などは購買部数の激減がニュースソースにすらなっていないのだから。
ある意味では、死にかけの巨人達からどれだけ利益を抜き取れるかと割り切って利用する人間が、最大の「勝ち組」と言えるのかもしれない。
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