「ポルトガル」と聞くと何を連想するだろうか?おそらく多くは、大航海時代に種子島へ来航して鉄砲を伝えたこと(南蛮貿易)を挙げるだろう。しかしそれ以外となると、ほぼ同時代のマカオへの定住、少し飛んで1580年におけるスペインへの併合、さらに飛んで、ナポレオン時代終焉後のブラジル帝国建国、そして20世紀前半のサラザール独裁、後半のアンゴラやモザンビークの独立(独裁政権の終焉と政策の変化・EC加盟など)・・・といった具合に、かなり飛び飛びに知識を教わるだけで、一体どういう歴史を辿ってきたのかを体系的に知る機会がないのではないだろうか。
その意味において、ここで紹介されるリスボン地震とその顛末は、ポルトガルはもちろん、移行期にあるヨーロッパの一幕を知る意味でも大変参考になると言えそうだ。
詳細は動画に譲るとして、熱心なカトリック国が、聖人の日に祈りを捧げている際にこの未曾有の災害を受けたことにより、災害を「神の罰」とみなすような、より大きく言えば全知全能の神によってこの世界はコントロールされているとする世界観が、当時隆盛していた啓蒙思想や科学革命と相まって、深刻な見直しを迫られたということである。
そしてやや図式的な見方をするなら、この震災とほぼ同時期にイギリスで産業革命が始まり、さらに震災の30年後には旧来の信仰をアンシャンレジームとして否定しつつ理性を崇拝するフランス革命が勃発し、その影響はナポレオンという男の侵略戦争によってヨーロッパ各地に広がっていった。そしてその波濤は、やがては1848年の「諸国民の春」=近代市民社会への成立へとつながっていくだろう(まあこういう「進歩史観」的な発想法は、マンハイムの『イデオロギーとユートピア』で相対化され、クーンの『科学革命の構造』であったり、レヴィ=ストロースの『野生の思考』などで批判的に言及されているわけだが)。
話を戻すと、リスボン地震は「神の罰」としての災害という発想に深刻な再考を迫った。これは一般化・抽象化すると「神が全知全能であるならば、なぜ世界には悪が存在するのか」といったいわゆる神義論につながる。
これはブログでも過去に「信長は天国へ行った!?」や「宗教と思索」などの記事で取り上げたが、例えば罪を犯したと思われる人は相応の報いを受けるのが当然だと考え、それと類似の発想で、早逝した人がいた場合にはそこに何らかの理由(記事の例で言えば名前)を見出し、そのことで偶然性の不安を払拭したくなるという心の働きはよく観察される(もしそうしなければ、今特別に悪いことをしているわけではない自分もある日突然不条理な理由でその命を終えなければならぬかもしれない、という端的な事実に直面せざるをえないからだ)。
このような発想は、疫病や災害による凄惨な大量死についても、同じような発想を要求するだろう。すなわち、何らかの神の罰によって、彼・彼女らは死という運命に飲み込まれたのだ、と(その典型例がソドムとゴモラの逸話であり、またバビロン捕囚などの民族的苦難を経験したユダヤ人たちが選民思想を作り上げていったことなども想起したい)。
このような世界観は人々に言わば「安寧」を与えるわけだが、ひとたびその枠組みがた正しいかを全面的に検証する、もしくは検証せざるをえない段になると、そのぬぐい難い欺瞞に向き合わざるをなくなる(逆に言えば、複雑さや都合の悪いことは無視するか適当な理由をつけるかして深く考えないようにすればこの世界観は保たれる、とも言える。時折見かける正気とは思えない原因の説明などは、大抵こういったメンタリティによって紡ぎたされた妄言である)。
例えばその命やその死がただその者の行いによって決まるとするならば、極限の状況に産み落とされ、すぐさまその生を終えさせられた赤子は、一体どのような「罪」を得ていたというのか?そこまで極端な例でなくとも、例えばソマリアやホンジュラスで苦しい生活を強いられている人は相応の「罪」を背負っており、恵まれた国や家柄に生まれた人々はそれが無いか、相対的にでも少ないためそのような豊かな人生を享受しているのだろうか?
では今日問題にされるグローバルサウスは?あるいは社会の階級(ヴァルナやジャーティ)を前世の業によって理論化・正当化したバラモン教は?・・・このように問うていけば、否が応でもそのような世界理解は、単に「自分たちの世界が秩序だった法則によって支配されている思うことで安心・納得したい」がゆえのドグマに過ぎないと認めざるをえないだろう。
「世界を体系的な何かによって説明しきりたい」という欲望は理解しやすいものではあるが、それに安易に身をゆだねることは、単に無知であるとか不誠実であるとかいった領域を超えて、目の前にある不正や惨劇を正当化してしまいかねない、という事実を明記しておきたい(マルクスの「宗教はアヘンだ」という著名な発言は、まさにそういった文脈でなされたものである)。
そしてそれを踏まえると、カントのような人物が震災の構造を解明しようとして地震学の嚆矢となったり、あるいは信心深く神学の研究・講師を志していたロールズが、太平洋戦争の中で数々の惨劇や拭い難い差別などを見聞きする中で、もはやキリスト教が提示する世界観を無邪気に信ずることはできなくなり、しかしニヒリズムの道を歩むことなく、それとは別の道でいかに公正な社会の実現は可能かを『正義論』で世に問うに到ったことを想起したい。
というわけで、当時のヨーロッパ知識人たちを中心に深刻なリフレクションを要求したリスボン地震について取り上げてみた。こういった自然現象と世界観の相克については、いずれまた別の機会に述べてみたいと思う。
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