雑感:満員電車、片手運転、『人間失格』

2007-04-02 00:48:10 | 日記
昨日は仕事が長引いて終電になり、寿司詰め状態の中を帰った。前にも書いたが、そういう環境に身を置いてみると、おかしな(さらに言えば「狂った」)人間が出てくるのは至極当然のことであると感じる(不快に感じる境界線は国々や個々人で違っているとは言え、だ)。にもかかわらず、そういう話をあまり聞かないのはなぜだろうか?まあ「狂った人間というのは自分を狂人とは思わない」というのがその理由なのかもしれない(もっとも、狂気の基準は多数決であって、これは皮肉の域を出ないが)。


誰しも経験はあるが、タバコやケータイを片手に運転している姿を見かけることがある。注意してもおそらく彼らが止めることはあるまい。ならば罰則で「タバコを片手に持って運転していた場合は、いかなる状況でも事故の際に10対0で責任を負う」とかしてやればいいのではないか?もしこれに「どうしても吸いたくなったらどうするんだ」という反論が出るかもしれないが、それなら駐車して吸えばいいのだし、それも難しいならそもそも車に乗るのを止めろという話である。自分が乗っているのは凶器であると自覚すべきだろう。

もちろん現実には色々問題が出るからそういう極端さは避けられるのであろうが、それではいつまで経っても事態は改善したいのではいだろうか(もっとも、それにまつわる事故件数の推移を把握しているわけではないが)?上記のような行為が絶対に避けられないものではない以上、そうやって厳密な枠組みを作ることで減らしていくしかないと考える。


太宰の『人間失格』を読み始める。何気に太宰はこれが始めての作品だ。今までのブログの内容からすれば、自分でもいささか不思議に思えるくらい縁がなかったと言える。まだ20Pくらいしか読んでいないのに、早くも主人公(葉蔵)の父親の押し付けがましさにイライラしている。「自分が買ってあげたいもの=相手も欲しいと思っているに違いない」という独善的な思考…時代が時代ゆえに父親はそういう傾向が強かったのかもしれないが、仮にそうだとしてもその押し付けがましさには虫唾が走る。自分の予想通りだったと得意そうに喋るところでは「とりあえず死ね」というレベルまでイライラが募るほどだった。ハルヒの記事からもわかったことだが、俺は傍若無人、あるいは押し付けがましいキャラは生理的に受け付けないらしい。


とまあこんな具合に色々とあるが、この先まだまだ新しい問題点などを発掘できるかもしれない。とりあえずは、読了後に何かしら書く予定である。
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