項羽、三国志、墨家:抜山蓋世 真

2019-12-28 12:35:00 | 歴史系

 

いやーホンマ項羽さんおもろいですなー。つかまあこういう乱世の人間模様とかキャラの立ち方ってちょっと異常なくらいだよね。平時なら合わせるべき社会システムがそもそも崩壊・流動化してるから、それぞれの素がそのまま外に出るというか。まあ日本の戦国時代とか幕末も同じなんだろうな・・・

 

あ、どうもムッカーです。「抜山蓋世」の語を剽窃しといて元ネタの項羽センセを一回も紹介したことなかったんで、紹介動画を掲載させていただいた次第。それにしても、項羽の脳筋ぶりと比べると、劉邦さんの腹黒さが際立ちますなあwこういう人物を理想像みたく描いてしまうのは、劉備と同じで徳治主義のバイアスみたいなもんなのか、はたまた書いた人間(司馬遷や陳寿)の筆致や意図に見事に乗せられてしまっているからなのか(司馬遷は前漢の武帝の元で『史記』を書いてるわけだし、『陳寿』は蜀の出身だからね)・・・まあそういうのを考えてみるのもおもしろいでしょう。

 

 

三国志の話をしたのでついでに自分が好きな傑物の一人、賈詡の紹介動画もついでにどうぞ。ちなみに三国志絡みのクレイジーなエピソードは、『三国志 きらめく群像』がおもろいので是非。あと、陳寿の本文に対し裴松之がどんな注を付けたかという点、またその注からどういうエピソードを選びだしてその人のホンマモンのエピソードに演義が仕立て上げたのかを見ていくのも非常に興味深い(たとえば有名な例として、『漢晋春秋』は蜀寄りの記述がなされているが、それを積極的に採用すれば劉備や諸葛亮寄りの話になっていく、というわけだ)。

 

これは一見すると単なるお遊びのように思われるかもしれないが、歴史的評価が大きく変化したり、時代の流行りすたりでスポットを浴びる例はいくらでも存在する。たとえば明治維新以後で人気のあった人物といえば南洲翁だが、後にその地位は坂本龍馬に取って代わられた、というように。もう少しわかりやすい例で言えば、ロシアのストルイピンに対する評価はソ連時代とソ連崩壊後で大きく異なっている。そういった変化の背景を知れば、自分が個人の嗜好(つまり自由意思)で動いているように思いながら、いかに外的要素から影響を受けたりコントロールされているかを気づかされるだろう。

 

では、思想の話ということで最後に墨家の紹介をば。

 

 

墨家と言えば「非攻」や「兼愛」という言葉が有名である。それらは近代の反省として侵略戦争を否定し、ナショナリズムより普遍主義を重視しようとしてきた二つの大戦後の世界を生きる我々にとっては、非常にわかりやすいものだ。とはいえ、こういった発想は単に表面的な言葉だけでなく、なぜそのような思想が出てきたか、その戦略的な意味は何かを考える方が実りがある。

 

墨家が儒家を仮想的として強く意識していたのはつとに知られているところではあるが、どちらも発想は「戦乱の続く世を終わらせるにはどうすればよいか。どうすれば天下国家は上手く収まるか」という点に立脚している。そこで儒家は仁と礼を強調したのだが、その仁の中でも家族への愛情を重要視した(これは儒家が以前天下を統一していた周を理想国家とし、それが宗族=血縁を軸にしていたことを想起するとわかりやすい)。そのような考え方を墨家は「偏愛」と非難し「兼愛」を説いた。要するに、家族を他人より大事にするのであれば、「その家族の敵は敵」というロジックと容易に結びつき、結局それは様々な家が覇者となろうとしている現状を変えることはできない、という批判である。

 

こういった問題意識は、古代ギリシアの『二コマコス倫理学』だと「ポリスは戦争に行けと言うが、家族は行くと死ぬから行くなという。どちらを優先するべきなのか」といった問いで出てきておもしろいのだが、ともあれ今のナショナリズムやパトリオティズムとも結びつく問いであり、ここまできてようやくその思想は我々にとってアクチュアルなものとなりうる(ただし、「自分の肉親もそこにいる虫も存在全てが等価である」というブッダの悟りは未だ一般化したことはないのであって、その意味でこういった問いは人類が滅亡するまで続くのかもしれない)。

 

とまあちょっと抽象的な話になったが、もう一点こういう思想に触れる際に注意すべき点として、それが「現代的」とか「進歩的」とか感じた時、我々はその人物や思想体系全体がそうであるという風に錯覚する傾向があるように思える。つまり、「非攻」や「兼愛」の発想を持つ墨家は古色蒼然とした儒家よりも現代的、という風にである。しかし、「未だ生を知らず。焉んぞ死を知らん。」と喝破し、怪力乱神(非常に大雑把に言えば、日本でいう霊みたいなもの)についても語ることがなかった儒家(孔子)に対抗し、墨家は積極的にそれらが存在すると語った。ここからすれば、儒家のそれは現代、あるいは「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と禁欲的に述べたヴィトゲンシュタインに近く、むしろ墨家の方こそ前近代的と言えるだろう。とはいえ私も詳しいわけではないので、『漢代における墨家の再生』などを近いうちに読んでみたいところだ。

 

というわけで、古代中国の人物や思想について若干の紹介をしたところで今回は筆を置きたい。


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