ジャニーズ問題と実態解明の重要性について:なぜ加害者が死亡していても調査の必要があるのか

2023-05-16 11:30:00 | 感想など

社長が声明を出すなど、ようやく事態が動き始めた印象のジャニー喜多川による性犯罪と被害者。ただ、この記事でも指摘されているように、まだまだ問題は山積みであり、いかに事実関係を明らかにするより、とにかくダメージを最小化しようとする意図が見え透いているので、しばらくこの問題をめぐる攻防は続くものと思われる。

 

ひとまずはその動向を見守るとして、私が一つ気になっているのは、「加害者が死亡した今、実態を調査することに何の意味があるのか」という類の意見についてである。今回はこれについて書いてみることにしたい。

 

ジャニー喜多川の行為や被害状況を調査することの意味は、単に「とにかく真実を明らかにすることが重要だ」といった抽象的な話ではないし、また法的に何かしらの白黒をつけて何らかのサンクションを生じさせることだけにあるのではない(念のため言っておくが、名乗り出ていない被害者たちへの配慮は当然必要であって、例えばその人たちについて、「実名で被害を報告しないなんて真実の解明を間接的に妨害している!」などといった非難をするのはアウティングやセカンドレイプと同様の行為と言えるだろう)。

 

というのも、こういった「問題の解明を進めることを是とする風潮を強める」ことを通じ、組織による隠蔽のリスクとともに、公開のインセンティブを増やすという公益性がある(念のため言っておくが、大手マスメディアによる報道控えや影響力のある大手広告会社による忖度などがここまで批判されている状態で、よもやジャニーズ問題が一私企業に限られる話だなどと思っている人はいないだろう)。

 

こういった具体的な事例を通じて世情が変わり、告発も情報公開もされやすくなるという効果があるという意味だが、それは芸能界や芸能事務所の枕営業や大手メディアとの癒着関係に限った話ではない。それは一般企業のガバナンスにも影響することだろう(つまり、社会人なら誰しも関係しうるということだ)。

 

このような点で、今回の事態がどう展開するのかは極めて社会的にも重要な意味を持っている。ゆえに、「加害者が亡くなったから解明の意味がない」といった理解は、不見識だと言えるのである(あまりに不見識なことを踏まえ非常に厳しい指摘をさせていただくなら、どうも「意識的・無意識的に火種を最小化しようとする意図」から出た発言のように思えてならない)。

 

なお、ついでに述べておくならば、先の「とにかく真実を明らかにすることが重要だ」という思考を相対化するためにも述べておく必要があるのが、「基本的に組織は抜きがたい自己防衛性を持っている」ということだ。つまり、放っておけば自己保身に走るものであるがゆえに自浄作用が働くことは期待しがたく、ゆえに「自己防衛のための隠ぺいに走ることが難しく、かつ隠蔽を行った場合は相当の制裁を受けるためそれを選択するインセンティブが低い」仕組みを作ることが重要性となってくる。

 

これをいわゆる「性悪説」と捉える人もいるかもしれないが、それは間違っている。というのも、例えば企業運営者にとって企業利益の拡大は「善」であり、株主の履歴を生み出すことも「善」で、職員の生活を豊かにすることも「善」であったりする(モチベーションアップを通じてさらに高い業績で会社に還元してもらうという意味でも)。つまり「悪しき性質を持っているから悪行を為す」のではなく、所属する組織にとっての「善」を追及した結果、社会的悪に手を染める(そちらの側に身を置く)ことがしばしばある、という話なのだ(その意味で言えば、戦争でよく言われるような「正義と正義のぶつかり合い」のように捉えた方がより適切だろう)。よって今回の事件も「性悪説」とか「性善説」の問題ではなく山本七平の『「空気」の研究』などを事例に出した方が適切で、仮に善や悪という言葉を使うにしても、それはアイヒマン=「凡庸な悪」的な行為=自己保身や思考停止による悪行への加担と言える。

 

さて、今の話に通ずるが、私企業とはそもそも自己利益を追及する存在であるので(最近漫画などでも書かれているので多少馴染みのある話だと思うが、証券会社や銀行、不動産屋など枚挙に暇がない)、その傾向に一定の歯止めをかけるには、「企業が社会の公益性を考えた行動を取らなければ極めて大きな不利益を自らが被るために、公益性を踏まえた言行を採用するようになり、その結果として社会と企業がwin-winになる状態」を目指す必要がある(まあ企業側の運営という意味ではドラッカーみたいな話だが)。

 


今回、藤島ジュリー社長が動画を発表したのも、もちろん社会的非難やスポンサーの動向などを踏まえ、どんな行動が合理的かの計算に基づいたものである(でなければ、どうして反論でも謝罪でもなく沈黙から始まり、反省の弁を発表→動画発表などという段階を踏むのか説明できない)。だが、組織というのは基本的にこのような性質を持つのであって、ましてジャニーズ事務所のように地位を確立して官僚主義化した組織ならば猶更である(だからこそ、企業理念やら就業規則のような縛りが存在するし、またガバナンスが必要なわけだが、そういう取り決めも企業利益や保身のためにしばしば踏みにじられる事例が様々あることを想起したい)。

 

というわけで、話は冒頭に戻るが、ジャニーズ問題の実態を明らかにしていくことは、社会的公益性があると言えるのだ。今回の件がなあなあで終われば、ニ・二六事件の勃発や先の大戦に日本が突入した時のような、あるいは失われた30年が今も更新され続けているような、「部署ごとの利益追求=セクショナリズムによって非合理的な選択が繰り返され、問題は放置され悪化し続ける」という病的構造が再び反復されることになるだろうし(そもそもBBCという「外圧」によって始まった時点で、「ああまたこのパターンか」という話なのだが)、逆に第三者委員会などである程度でもメスが入れば、企業ガバナンスの中で参照される歴史的事件の一つとなり、企業・社会運営の健全化の一助となるのではないだろうか。


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