スールヤヴァルマンの軍事パレードに引き続き、こちらは「天国と地獄」をテーマにしたレリーフ。てか三階層なんやね。一番下がうぎゃあ!みたいな感じになってるから地獄だとして、真ん中が現世で一番上が天国かな?
と思ったら、上の二層が天国らしい。バランス悪っ!wまあでも確かに、真ん中も全員日除けを持っていて快適に過ごしてる感はあるから、理解はできるわな。
ちなみに地獄でもだえ苦しんでいる人々についてはその罪状まで書かれており、放火や毒殺といった具体的というか生々しい内容となっておりマス。
その様を見て、なぜか頭の中に「天国と地獄」が流れ始め、途端に情景がギャグになったw
閻魔大王キタコレ(・∀・)まあエジプトのオシリスや一神教の最後の審判とかもそうだけど、死後に生前の所業が包み隠さず明るみ出されて裁かれる、というのが天国と地獄の要諦よな。
というのも、メタ的な見方をすると、天獄と地獄を設定するメリットというか必然性は、「現世で罪を免れてもあの世ではさらに酷い形で裁かれる」ために、「現世では戒律に従い誠実に生きよ」と警告し、現世での生活を縛る点にあるからだ。これはつまり、強盗や殺人といったものの犯罪抑止から、強欲や姦淫の道徳的な戒め(ストッパー)になるという効果がもちろん見込める。
そしてさらに言えば、「この世界はなぜ不正を働く者が権勢を誇り、誠実なる者が貧困にあえぐのか」といった、社会構造を考えた場合に必ずと言っていいほど惹起する疑念・憤りに対し、「神はきちんと見ているから、たとえ現世で刑罰を免れても、死後により過酷な裁きに苦しむことになる」と納得させる効果も持つだろう(これはいわゆる「神義論」につながる)。
言ってしまえば、「天国と地獄」という世界観は、カオスな世界を体系的に理解したいという希求(cf.「一切皆苦について」)、もしくは(特に「神が作り上げたのなら」)体系的であるはずだという信仰・願望に対し、現世で目の当たりにする不整合と辻褄を合わせるための調整弁の役割をしている、とも言えるだろう(ここでハラリが『サピエンス全史』にて述べた我々人類の共同幻想という特性を思い起こすのも有益だ)。
私は死んだことがないので、そういったものが存在するのかどうかは知らないが、しかし少なくとも、「なぜ天国と地獄という世界理解が様々な地域で生み出されたのか?」という問いについては、このように答えることができるのではないだろうか。
ちなみに、こういった崩壊が著しいレリーフもある。
レリーフに集中しているとちょっと疲れたので、回廊を眺めて小休止。
余談だが、こういった出口と繋がっている部分には、ほぼ確実に係員がいる。おそらく不審者のチェックや入場者がおかしな行動をしていないかの確認する役割と思われるが、巨大な水筒で水分補給している姿を見て、そりゃこのクソ暑い(多分35℃はいってる)中で冷房もなくずっと監視員やってるんだから、とても大変だろう。現場保全お疲れ様です!
落雁みたいな紋様だなあ・・・(小並感)とか思いつつ、次のレリーフに進んだ。
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