シェイクスピアの作品において稀代の暴君として描かれるイングランド王リチャード3世だが、その遺体が駐車場の下から見つかったことで、死亡した状況などが判明し、様々な歴史的検証が進んだ。特にDNA鑑定については、テューダー朝の正統性を揺るがす結果となり、注目を集めることとなった(元々ヘンリ7世は傍流から出て王まで登り詰めた男だが、そもそもランカスター朝・テューダー朝自体に前王朝との血統的な繋がり=継承の正統性が疑われることとなっている)。
今回の動画は、その後の研究により、リチャード3世の暴君的要素として取り上げられることの多かった「甥殺し」が濡れ衣であり、そこにコミットしたのはむしろヘンリ7世の方だった、という話になっている。私もこの動画を昨日見たばかりなので、その記述が載っている史料の信頼性などは確認が必要だと思っているが、ともあれ「勝者は歴史が作る」という言葉を、改めて実感させられる事例なのではないだろうか。
そしてさらに言えば、このようなテューダー朝とその後継のステュアート朝に仕える中で、王朝に敵対した勢力を悪逆非道の存在として描き大衆に広めたシェイクスピア作品の闇についても、改めて注目しないわけにはいかないだろう。『リチャード3世』の容貌や治績を捻じ曲げたのはもちろん、『マクベス』ではスコットランド出身のステュアート朝に媚びるような描写を入れ、また『ヴェニスの商人』ではユダヤ人を利己主義・拝金主義者として描いたことなど、枚挙に暇がない。
もちろん、歴史家でもない彼が王朝の公式見解に盾突くことは難しく、またそういう動機づけもなかっただろうし、加えてその作品描写が一般大衆の思い込み(いわゆる「俗情との結託」)に乗じた部分もあるという意味では、ひとりシェイクスピアに批判の矛先を向けるのはお門違いというものだろう。しかしながら、『三国志演義』であったり、江戸時代の軍記物(最近言及したものでは『陰徳太平記』)がそうであるように、シェイクスピアの劇が娯楽作品として広く人口に膾炙し、それによってプロパガンダの拡声器的役割を果たしたこともまた、無視しえない事実なのである(昨今では、ゲーム「アサシンクリード」の弥助問題が思い起こされるところだろう。あれはフィクションと言い切らない形でマイノリティの歴史的活躍を描かんとするポリコレの思想拡張行為が、文化盗用の面で批判された結果、だいぶトーンダウンした事例と言える)。
今回のリチャード3世とその甥たちの動向、そしてヘンリ7世の政策の検証からは、改めてそういった娯楽作品の危険性というものも意識されて然るべきだと感じた次第。
以上。
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