Interlude:通り魔、自殺、環境要因

2008-06-12 19:57:20 | 感想など
ついさっき秋葉原通り魔事件を「社会の歪み」と結びつける危険性・重要性について書いたので、次はセキュリティの側面から論じたいのだが、一部の内容がかなりアブないため、誤解のないよう独立した記事の中で自分の立場を表明するとともに、事件の直近の頃の覚書を載せておこうと思う。


無関心と「嘲笑主義」」で書いたことと繋がるが、私は不干渉をよしとする傾向が強い。それゆえ他人からの強い干渉(?)の一種である通り魔のようなものは最も忌むべきものの一つであるし、また自分もそのような形で他人に干渉しようとは思わない(己の欲せざるところ人に施すことなかれ)。


無関係な人間が殺されるくらいなら、自殺率が上がるほうがマシだ。関連する最近の覚書を追加すると、「にしても、そんなに世の中が嫌いなら何でどこかに逃げるかとっとと幕を閉じるかしないのかねえ。本当の意味で自分が悪いとは思ってないんだろう」


どんな人にでも生まれてきた意味があるという。なるほどその通りかもしれない。もしその意味に「無関係の人たちを殺戮する」といった項目も含まれるのなら、だが(負の方向にも可能性は無限大)。


事件の原因を家族、学校、会社などの環境に求める見方、本人の性格に対する紋切り型の話、事件をすぐに社会と結び付けようとする。ますます価値観が多様化する社会になっていくことも考慮に入れると、もっとパーソナリティの分析を重視すべきなんじゃないの?すぐに大きな問題を見出そうとするから焦点がぼやける、漠然とした不安だけが広がり、監視の傾向がますます強まる。そんな考え方は状況を悪化させるだけだ。
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